当たり前の水を当たり前にしない

September 27, 2026

神野 顕彰さん

西条市大保木にある極楽寺を拠点に、石鎚山信仰や地域文化と関わる活動を続ける。

うちぬき21プロジェクトの初代理事長として、西条の水や青石(あおいし)を活かした水景観づくりにも関わってきた。

水を石鎚山へ運ぶ取り組みなどを通して、西条の水と地域の暮らしや文化との関係を見つめてきた。

拠点:愛媛県西条市

所属:極楽寺

顕彰さんと話していると、話題がよく広がる。

水の話から仏教へ。
石鎚山から日本文化へ。
地域の話から教育へ。

一つの考えに固執するというより、目の前の話を受け取りながら、別の角度から眺め直していく。

けれど、昔からそうだったわけではないという。

大学を出る頃までは、むしろ固い方だった。

上下関係や決まりごとを強く意識し、「こうしなければならない」という感覚も強かった。

二十代で修行に入り、さまざまな人と暮らすようになると、その考え方が少しずつ変わっていった。

思うようにはいかない。

人はそれぞれ違う。

ぶつかったところで、誰かが得をするわけでもない。

そんな経験の中で、顕彰さんは「諸行無常」という言葉を、頭ではなく実感として受け取っていった。

「変わっていくんやなっていうのは、当たり前」

自然も、人も、地域も、暮らしも変わっていく。

その変化を受け入れながら、今あるものをどう見るか。

西条の水について話を聞いていくと、その柔らかな視点が何度も顔を出した。


夏冷たく、冬あたたかい水

西条の水をどう見ているのか。

そう聞くと、顕彰さんはまず、うちぬきを身体で感じるところから話し始めた。

「西条のうちぬきと言われる水の凄さは、まず夏冷たくって、冬あったかい」

地下から湧き出る水は、季節を通して温度が大きく変わらない。

夏には冷たく、冬にはあたたかく感じる。

そして、味にも自然そのものの感覚があるという。

「水の持ってる味っていうのは、やっぱり自然の味」

加工されていない。

手を加えられていない。

自然のままの味がある。

農業を見ても、水の豊かさを感じる。

海の中から水が湧き出す弘法水も、その象徴の一つだ。

夏に海へ入ると、海水の中に冷たい水が上がってくる感覚があるという。

水は、ただ蛇口から出るものではない。

地下にあり、田畑を支え、海の中にも湧き、身体で感じられるものとしてある。

そのことを、顕彰さんは暮らしの中で見てきた。


当たり前になりすぎたもの

西条の水は、日々の暮らしの中でどのように感じられているのか。

顕彰さんは、カルキ臭くない水のありがたみを話した。

コーヒーも、ご飯も、味が違う。

けれど、それに慣れてしまうと、それが当たり前になる。

「西条の水は生だから。自然のものだから」

自然のままの水がある。

しかも、おいしい。

それでも、暮らしの中ではその価値を意識しなくなっていく。

「なんでペットボトル水買うんねんって、わしなんか思ってるけど、もう今当たり前の光景やな」

西条の外へ出ると、水の違いはわかりやすい。

一方で、西条の中だけで暮らしていると、その違いを意識する機会は少ない。

だからこそ、顕彰さんは子どもの頃から水について学ぶことが大事だと考えている。

幼稚園、小学校、中学校。

その段階から、西条の水がどこから来て、暮らしや農業、産業とどうつながっているのかを学んでいく。

「そこですり込んでいかんと、やっぱもう当たり前で終わっちまう」

水の価値は、自然に伝わっていくものではない。

身近すぎるからこそ、知る機会をつくる必要がある。

顕彰さんの言葉には、そんな実感があった。


石鎚山を、どう見てきたのか

極楽寺は、石鎚山信仰と深く関わるお寺でもある。

では、石鎚山は地域の人にとって、どのような存在だったのだろうか。

かつて、石鎚山のお山開きには、瀬戸内海の島々から多くの参拝者が訪れていた。

外から来る人々にとって、石鎚山は信仰の対象だった。

一方で、山麓に暮らす人たちにとっては、その参拝者を迎えることが暮らしの一部でもあった。

顕彰さんによれば、少なくとも昭和の戦後しばらくまでは、参拝者が何日もかけて歩き、途中の宿に泊まりながら石鎚山を目指していたという。

お山開きの期間には、民宿や土産物、物産の売買も生まれ、地域にとって大切な現金収入の機会にもなっていた。

「石鎚山がありがたいというのは、台風の時ぐらいかな」

台風が来ても、石鎚山があるから大丈夫だろう。

そんな感覚は、顕彰さん自身の中にも染み込んでいるという。

けれど、石鎚山のおかげで水が生まれているという意識は、里に暮らす人たちの中では、それほど強くなかったのではないかと話す。

一方で、漁師たちは少し違った。

瀬戸内海の島々から船で訪れ、そこから歩いて石鎚山へ向かう人たちがいた。

中山川の河口あたりに船をつけ、氷見から横峰寺へ上がり、さらに石鎚へ向かう。

何日もかけて歩く参拝だった。

漁師にとって、山は海の上で自分の位置を知るための目印でもある。

そして、海の豊かさが山の豊かさとつながっていることを、彼らはよく知っていたのではないかと顕彰さんは話す。

「海の豊かさは山の豊かさにつながるってことは、彼らの方がよく知ってるんじゃないかな」

信仰の対象として石鎚山を見る人。

参拝者を迎えながら暮らしてきた人。

海から山を見てきた人。

同じ石鎚山でも、その関わり方によって見え方は違っていた。


神と仏が和合する場所

極楽寺は、石鎚山信仰の中でどのような役割を持ってきたのか。

顕彰さんは、宿のような役割、祈祷をする場所、そして石鎚山を紹介する役割があったと話す。

そこには、明治以前の日本の宗教のあり方が残っている。

神と仏が分かれていない世界。

神仏が和合している感覚。

明治の神仏分離によって制度上は分けられていったが、それ以前の日本では、八百万の神々の世界に仏教が入り、さまざまなものを混ぜ合わせながら受け止めてきた。

顕彰さんは、その感覚が日本文化にも深く残っているのではないかと話す。

もののけの世界。

自然の中に何かが宿る感覚。

神と仏、人と自然をはっきり切り分けない感覚。

話は、アニメや外国人から見た日本の神秘性にまで広がっていった。

そして、顕彰さんは今、こうした日本的な感覚があらためて見直されつつあるのではないかと考えている。

本来、日本人の暮らしの中には、自然と人が今よりも近く、切り離されずに関わり合う感覚があった。

西洋的な文明を取り入れてきた先で、今もう一度、そうした自然と人との関係に目が向き始めているのではないか。

顕彰さんの話は、石鎚山信仰から、今の環境問題へとつながっていった。


山岳信仰の中の水

山岳信仰において、水はどのような意味を持つのか。

顕彰さんは、山にいれば水はいたるところにあると話す。

湧き水があり、谷水がある。

山で暮らす人にとって、水は特別に探すものではなく、自然の中にあるものだった。

一方で、仏教の中では、水はとても大切な位置を占めている。

滝や川で身を清める。

それは、水と同化することでもあるという。

水の中に入り、水の性質に触れる。

「水っていうのは、やっぱり常に、二尺流れたら清まるっていうのが水の本性なんだけど」

水は止まることなく流れ、その中で清まり、常に変わり続ける。

そして、すべての命をつないでいく。

仏教には「六大」とという考え方がある。

地、水、火、風、空、識(心)。

自然を構成する六つの大きな要素の中に、水がある。

山に入る時の姿勢についても、顕彰さんは印象的な言葉を使った。

山へ行くのではない。

「山に入らせていただく」。

その謙虚さが、修験の世界にはあるという。

自然を征服するのではなく、その中へ入らせてもらう。

そこで感じたものを、できるだけ素直な心で受け取る。

水もまた、そんな自然の一部としてそこにある。


極楽寺という場所

極楽寺は、なぜ今の場所にあるのか。

その話は、極楽寺の前身にあたる寺の歴史へとさかのぼる。

顕彰さんによれば、もともと龍王山の懐にあった寺が、豊臣秀吉の四国征伐の時代に焼かれた。

その最後の弟子が山を下り、川を渡り、龍王山を望みながら拝むことができる場所を探した。

それが、現在の極楽寺につながる場所だったという。

その物語の中には、役行者の伝承もある。

龍王山から西に石鎚山を拝み、阿弥陀三尊が現れる。

さらに祈りを重ねると、仏が神である権現の姿として現れる。

仏と神が、一つの物語の中に一緒に出てくる。

そこにも、神仏習合の世界がある。

顕彰さんの話を聞いていると、極楽寺が今の場所にある背景にも、山との関係や、長く受け継がれてきた信仰の歴史が重なっていることが見えてくる。


うちぬき21と青石の風景

うちぬき21プロジェクトでは、西条の水と青石を軸に、まちの中に水や芸術を取り入れる活動を続けてきた。

青石を使った石彫やつくばい、石のベンチ。

石彫作家を招いて、ふれあいの里で滞在制作を行ったこともある。

田んぼの中で音楽イベントを開いたこともあったという。

「その時は面白かったな」

顕彰さんは、そう振り返る。

決まった形があったわけではない。

水や青石、芸術をきっかけに、西条のまちでいろいろな試みを重ねてきた。

一方で、活動を次の世代へつないでいく難しさも感じている。

「新しい若い人に繋がらん。ずっと当初のメンバーが未だに現役でやってる世界だから、難しいな、繋ぐってのは」

始まってから二十年以上。

活動そのものだけでなく、それを担う人をどうつないでいくのか。

今は、そこも一つの課題になっている。


水を石鎚山へ運ぶ

うちぬき水を石鎚山へ運ぶ取り組みもある。

海側の弘法水から水を汲み、歩いて石鎚山へ向かう。

途中で泊まり、翌日、山頂へ水を届ける。

水は、山から流れて海へ向かう。

その水を、今度は人の手で山へ戻していく。

顕彰さん自身、この取り組みを「修行」として捉えていた。

最初の頃は、参加する人にも「すごいことをやっている」という感覚があったという。

水への感謝を、言葉ではなく、歩くことや運ぶこととして表す。

ただ、続けていく中では現実的な難しさも出てくる。

毎年、人は年を重ねる。

歩くこともしんどくなっていく。

「持続可能ではない」

顕彰さんは、そう率直に話した。

どれだけ意味のある活動でも、続ける人がいなければ残らない。

思いだけではなく、担い手や方法も考えなければならない。

それは、うちぬき21の活動にも共通する課題だった。


子どもたちに、水をどう伝えるか

顕彰さんが繰り返し語ったのは、子どもたちへの教育の必要性だった。

西条の水を、子どもの頃から学ぶ。

小学校から、きちんとカリキュラムをつくる。

水がどこから来るのか。

農業や産業とどうつながっているのか。

なぜ、この地域では地下から水が湧くのか。

それを少しずつ知っていく。

「そこですり込んでいかんと、やっぱもう当たり前で終わっちまう」

西条で育つ子どもたちにとって、水は最初からそこにある。

だからこそ、価値を言葉にしなければ、そのまま通り過ぎてしまう。

水そのものだけではなく、水と暮らしがどうつながっているのかを伝える。

顕彰さんが教育に期待しているのは、そんな役割だった。


大自然のありがたみと、そこに住む縁

最後に、顕彰さんにとって西条の水とは何かを聞いた。

少し考えて、出てきたのは「大自然のありがたみ」という言葉だった。

そして、もう一つ。

そこに住む「縁」。

先祖代々この地にいる人もいる。

仕事の関係で来た人もいる。

何か思いを持って移り住んできた人もいる。

なぜ自分がこの場所にいるのか。

その背景には、さまざまな縁がある。

仏教では、すべては縁によって起こると考える。

人が西条に住むことも。

誰かと出会うことも。

水に気づくことも。

一つだけの原因で起きているわけではない。

さまざまな関係が重なって、今がある。

「思いを持っている人たちが、西条の水をクローズアップして、より西条に特有の個性的なものとして認識さすことができたら、私は素晴らしい街になると思う」

西条の水は、山から流れ、地下に蓄えられ、まちに湧き、田畑や暮らしを支えてきた。

一方で、その豊かさは、近くにいるほど見えにくくなる。

当たり前にある水を、当たり前のままにしないこと。

どこから来ているのかを知ること。

山や海、暮らしとのつながりを見ること。

そして、その水がある場所に自分も生きているという縁に気づくこと。

顕彰さんの話を聞いていると、西条の水を大切にすることは、水そのものを見るだけでは足りないのかもしれない。

その水を生む山。

そこに重なってきた信仰や文化。

水とともに暮らしてきた人。

その関係まで見えてきた時、当たり前だった水の姿も、少し違って見えてくる。

WATER LOOP PROJECT

当たり前の水を当たり前にしない

September 27, 2026

神野 顕彰さん

西条市大保木にある極楽寺を拠点に、石鎚山信仰や地域文化と関わる活動を続ける。

うちぬき21プロジェクトの初代理事長として、西条の水や青石(あおいし)を活かした水景観づくりにも関わってきた。

水を石鎚山へ運ぶ取り組みなどを通して、西条の水と地域の暮らしや文化との関係を見つめてきた。

拠点:愛媛県西条市

所属:極楽寺

顕彰さんと話していると、話題がよく広がる。

水の話から仏教へ。
石鎚山から日本文化へ。
地域の話から教育へ。

一つの考えに固執するというより、目の前の話を受け取りながら、別の角度から眺め直していく。

けれど、昔からそうだったわけではないという。

大学を出る頃までは、むしろ固い方だった。

上下関係や決まりごとを強く意識し、「こうしなければならない」という感覚も強かった。

二十代で修行に入り、さまざまな人と暮らすようになると、その考え方が少しずつ変わっていった。

思うようにはいかない。

人はそれぞれ違う。

ぶつかったところで、誰かが得をするわけでもない。

そんな経験の中で、顕彰さんは「諸行無常」という言葉を、頭ではなく実感として受け取っていった。

「変わっていくんやなっていうのは、当たり前」

自然も、人も、地域も、暮らしも変わっていく。

その変化を受け入れながら、今あるものをどう見るか。

西条の水について話を聞いていくと、その柔らかな視点が何度も顔を出した。


夏冷たく、冬あたたかい水

西条の水をどう見ているのか。

そう聞くと、顕彰さんはまず、うちぬきを身体で感じるところから話し始めた。

「西条のうちぬきと言われる水の凄さは、まず夏冷たくって、冬あったかい」

地下から湧き出る水は、季節を通して温度が大きく変わらない。

夏には冷たく、冬にはあたたかく感じる。

そして、味にも自然そのものの感覚があるという。

「水の持ってる味っていうのは、やっぱり自然の味」

加工されていない。

手を加えられていない。

自然のままの味がある。

農業を見ても、水の豊かさを感じる。

海の中から水が湧き出す弘法水も、その象徴の一つだ。

夏に海へ入ると、海水の中に冷たい水が上がってくる感覚があるという。

水は、ただ蛇口から出るものではない。

地下にあり、田畑を支え、海の中にも湧き、身体で感じられるものとしてある。

そのことを、顕彰さんは暮らしの中で見てきた。


当たり前になりすぎたもの

西条の水は、日々の暮らしの中でどのように感じられているのか。

顕彰さんは、カルキ臭くない水のありがたみを話した。

コーヒーも、ご飯も、味が違う。

けれど、それに慣れてしまうと、それが当たり前になる。

「西条の水は生だから。自然のものだから」

自然のままの水がある。

しかも、おいしい。

それでも、暮らしの中ではその価値を意識しなくなっていく。

「なんでペットボトル水買うんねんって、わしなんか思ってるけど、もう今当たり前の光景やな」

西条の外へ出ると、水の違いはわかりやすい。

一方で、西条の中だけで暮らしていると、その違いを意識する機会は少ない。

だからこそ、顕彰さんは子どもの頃から水について学ぶことが大事だと考えている。

幼稚園、小学校、中学校。

その段階から、西条の水がどこから来て、暮らしや農業、産業とどうつながっているのかを学んでいく。

「そこですり込んでいかんと、やっぱもう当たり前で終わっちまう」

水の価値は、自然に伝わっていくものではない。

身近すぎるからこそ、知る機会をつくる必要がある。

顕彰さんの言葉には、そんな実感があった。


石鎚山を、どう見てきたのか

極楽寺は、石鎚山信仰と深く関わるお寺でもある。

では、石鎚山は地域の人にとって、どのような存在だったのだろうか。

かつて、石鎚山のお山開きには、瀬戸内海の島々から多くの参拝者が訪れていた。

外から来る人々にとって、石鎚山は信仰の対象だった。

一方で、山麓に暮らす人たちにとっては、その参拝者を迎えることが暮らしの一部でもあった。

顕彰さんによれば、少なくとも昭和の戦後しばらくまでは、参拝者が何日もかけて歩き、途中の宿に泊まりながら石鎚山を目指していたという。

お山開きの期間には、民宿や土産物、物産の売買も生まれ、地域にとって大切な現金収入の機会にもなっていた。

「石鎚山がありがたいというのは、台風の時ぐらいかな」

台風が来ても、石鎚山があるから大丈夫だろう。

そんな感覚は、顕彰さん自身の中にも染み込んでいるという。

けれど、石鎚山のおかげで水が生まれているという意識は、里に暮らす人たちの中では、それほど強くなかったのではないかと話す。

一方で、漁師たちは少し違った。

瀬戸内海の島々から船で訪れ、そこから歩いて石鎚山へ向かう人たちがいた。

中山川の河口あたりに船をつけ、氷見から横峰寺へ上がり、さらに石鎚へ向かう。

何日もかけて歩く参拝だった。

漁師にとって、山は海の上で自分の位置を知るための目印でもある。

そして、海の豊かさが山の豊かさとつながっていることを、彼らはよく知っていたのではないかと顕彰さんは話す。

「海の豊かさは山の豊かさにつながるってことは、彼らの方がよく知ってるんじゃないかな」

信仰の対象として石鎚山を見る人。

参拝者を迎えながら暮らしてきた人。

海から山を見てきた人。

同じ石鎚山でも、その関わり方によって見え方は違っていた。


神と仏が和合する場所

極楽寺は、石鎚山信仰の中でどのような役割を持ってきたのか。

顕彰さんは、宿のような役割、祈祷をする場所、そして石鎚山を紹介する役割があったと話す。

そこには、明治以前の日本の宗教のあり方が残っている。

神と仏が分かれていない世界。

神仏が和合している感覚。

明治の神仏分離によって制度上は分けられていったが、それ以前の日本では、八百万の神々の世界に仏教が入り、さまざまなものを混ぜ合わせながら受け止めてきた。

顕彰さんは、その感覚が日本文化にも深く残っているのではないかと話す。

もののけの世界。

自然の中に何かが宿る感覚。

神と仏、人と自然をはっきり切り分けない感覚。

話は、アニメや外国人から見た日本の神秘性にまで広がっていった。

そして、顕彰さんは今、こうした日本的な感覚があらためて見直されつつあるのではないかと考えている。

本来、日本人の暮らしの中には、自然と人が今よりも近く、切り離されずに関わり合う感覚があった。

西洋的な文明を取り入れてきた先で、今もう一度、そうした自然と人との関係に目が向き始めているのではないか。

顕彰さんの話は、石鎚山信仰から、今の環境問題へとつながっていった。


山岳信仰の中の水

山岳信仰において、水はどのような意味を持つのか。

顕彰さんは、山にいれば水はいたるところにあると話す。

湧き水があり、谷水がある。

山で暮らす人にとって、水は特別に探すものではなく、自然の中にあるものだった。

一方で、仏教の中では、水はとても大切な位置を占めている。

滝や川で身を清める。

それは、水と同化することでもあるという。

水の中に入り、水の性質に触れる。

「水っていうのは、やっぱり常に、二尺流れたら清まるっていうのが水の本性なんだけど」

水は止まることなく流れ、その中で清まり、常に変わり続ける。

そして、すべての命をつないでいく。

仏教には「六大」とという考え方がある。

地、水、火、風、空、識(心)。

自然を構成する六つの大きな要素の中に、水がある。

山に入る時の姿勢についても、顕彰さんは印象的な言葉を使った。

山へ行くのではない。

「山に入らせていただく」。

その謙虚さが、修験の世界にはあるという。

自然を征服するのではなく、その中へ入らせてもらう。

そこで感じたものを、できるだけ素直な心で受け取る。

水もまた、そんな自然の一部としてそこにある。


極楽寺という場所

極楽寺は、なぜ今の場所にあるのか。

その話は、極楽寺の前身にあたる寺の歴史へとさかのぼる。

顕彰さんによれば、もともと龍王山の懐にあった寺が、豊臣秀吉の四国征伐の時代に焼かれた。

その最後の弟子が山を下り、川を渡り、龍王山を望みながら拝むことができる場所を探した。

それが、現在の極楽寺につながる場所だったという。

その物語の中には、役行者の伝承もある。

龍王山から西に石鎚山を拝み、阿弥陀三尊が現れる。

さらに祈りを重ねると、仏が神である権現の姿として現れる。

仏と神が、一つの物語の中に一緒に出てくる。

そこにも、神仏習合の世界がある。

顕彰さんの話を聞いていると、極楽寺が今の場所にある背景にも、山との関係や、長く受け継がれてきた信仰の歴史が重なっていることが見えてくる。


うちぬき21と青石の風景

うちぬき21プロジェクトでは、西条の水と青石を軸に、まちの中に水や芸術を取り入れる活動を続けてきた。

青石を使った石彫やつくばい、石のベンチ。

石彫作家を招いて、ふれあいの里で滞在制作を行ったこともある。

田んぼの中で音楽イベントを開いたこともあったという。

「その時は面白かったな」

顕彰さんは、そう振り返る。

決まった形があったわけではない。

水や青石、芸術をきっかけに、西条のまちでいろいろな試みを重ねてきた。

一方で、活動を次の世代へつないでいく難しさも感じている。

「新しい若い人に繋がらん。ずっと当初のメンバーが未だに現役でやってる世界だから、難しいな、繋ぐってのは」

始まってから二十年以上。

活動そのものだけでなく、それを担う人をどうつないでいくのか。

今は、そこも一つの課題になっている。


水を石鎚山へ運ぶ

うちぬき水を石鎚山へ運ぶ取り組みもある。

海側の弘法水から水を汲み、歩いて石鎚山へ向かう。

途中で泊まり、翌日、山頂へ水を届ける。

水は、山から流れて海へ向かう。

その水を、今度は人の手で山へ戻していく。

顕彰さん自身、この取り組みを「修行」として捉えていた。

最初の頃は、参加する人にも「すごいことをやっている」という感覚があったという。

水への感謝を、言葉ではなく、歩くことや運ぶこととして表す。

ただ、続けていく中では現実的な難しさも出てくる。

毎年、人は年を重ねる。

歩くこともしんどくなっていく。

「持続可能ではない」

顕彰さんは、そう率直に話した。

どれだけ意味のある活動でも、続ける人がいなければ残らない。

思いだけではなく、担い手や方法も考えなければならない。

それは、うちぬき21の活動にも共通する課題だった。


子どもたちに、水をどう伝えるか

顕彰さんが繰り返し語ったのは、子どもたちへの教育の必要性だった。

西条の水を、子どもの頃から学ぶ。

小学校から、きちんとカリキュラムをつくる。

水がどこから来るのか。

農業や産業とどうつながっているのか。

なぜ、この地域では地下から水が湧くのか。

それを少しずつ知っていく。

「そこですり込んでいかんと、やっぱもう当たり前で終わっちまう」

西条で育つ子どもたちにとって、水は最初からそこにある。

だからこそ、価値を言葉にしなければ、そのまま通り過ぎてしまう。

水そのものだけではなく、水と暮らしがどうつながっているのかを伝える。

顕彰さんが教育に期待しているのは、そんな役割だった。


大自然のありがたみと、そこに住む縁

最後に、顕彰さんにとって西条の水とは何かを聞いた。

少し考えて、出てきたのは「大自然のありがたみ」という言葉だった。

そして、もう一つ。

そこに住む「縁」。

先祖代々この地にいる人もいる。

仕事の関係で来た人もいる。

何か思いを持って移り住んできた人もいる。

なぜ自分がこの場所にいるのか。

その背景には、さまざまな縁がある。

仏教では、すべては縁によって起こると考える。

人が西条に住むことも。

誰かと出会うことも。

水に気づくことも。

一つだけの原因で起きているわけではない。

さまざまな関係が重なって、今がある。

「思いを持っている人たちが、西条の水をクローズアップして、より西条に特有の個性的なものとして認識さすことができたら、私は素晴らしい街になると思う」

西条の水は、山から流れ、地下に蓄えられ、まちに湧き、田畑や暮らしを支えてきた。

一方で、その豊かさは、近くにいるほど見えにくくなる。

当たり前にある水を、当たり前のままにしないこと。

どこから来ているのかを知ること。

山や海、暮らしとのつながりを見ること。

そして、その水がある場所に自分も生きているという縁に気づくこと。

顕彰さんの話を聞いていると、西条の水を大切にすることは、水そのものを見るだけでは足りないのかもしれない。

その水を生む山。

そこに重なってきた信仰や文化。

水とともに暮らしてきた人。

その関係まで見えてきた時、当たり前だった水の姿も、少し違って見えてくる。

WATER LOOP PROJECT

当たり前の水を当たり前にしない

September 27, 2026

神野 顕彰さん

西条市大保木にある極楽寺を拠点に、石鎚山信仰や地域文化と関わる活動を続ける。

うちぬき21プロジェクトの初代理事長として、西条の水や青石(あおいし)を活かした水景観づくりにも関わってきた。

水を石鎚山へ運ぶ取り組みなどを通して、西条の水と地域の暮らしや文化との関係を見つめてきた。

拠点:愛媛県西条市

所属:極楽寺

顕彰さんと話していると、話題がよく広がる。

水の話から仏教へ。
石鎚山から日本文化へ。
地域の話から教育へ。

一つの考えに固執するというより、目の前の話を受け取りながら、別の角度から眺め直していく。

けれど、昔からそうだったわけではないという。

大学を出る頃までは、むしろ固い方だった。

上下関係や決まりごとを強く意識し、「こうしなければならない」という感覚も強かった。

二十代で修行に入り、さまざまな人と暮らすようになると、その考え方が少しずつ変わっていった。

思うようにはいかない。

人はそれぞれ違う。

ぶつかったところで、誰かが得をするわけでもない。

そんな経験の中で、顕彰さんは「諸行無常」という言葉を、頭ではなく実感として受け取っていった。

「変わっていくんやなっていうのは、当たり前」

自然も、人も、地域も、暮らしも変わっていく。

その変化を受け入れながら、今あるものをどう見るか。

西条の水について話を聞いていくと、その柔らかな視点が何度も顔を出した。


夏冷たく、冬あたたかい水

西条の水をどう見ているのか。

そう聞くと、顕彰さんはまず、うちぬきを身体で感じるところから話し始めた。

「西条のうちぬきと言われる水の凄さは、まず夏冷たくって、冬あったかい」

地下から湧き出る水は、季節を通して温度が大きく変わらない。

夏には冷たく、冬にはあたたかく感じる。

そして、味にも自然そのものの感覚があるという。

「水の持ってる味っていうのは、やっぱり自然の味」

加工されていない。

手を加えられていない。

自然のままの味がある。

農業を見ても、水の豊かさを感じる。

海の中から水が湧き出す弘法水も、その象徴の一つだ。

夏に海へ入ると、海水の中に冷たい水が上がってくる感覚があるという。

水は、ただ蛇口から出るものではない。

地下にあり、田畑を支え、海の中にも湧き、身体で感じられるものとしてある。

そのことを、顕彰さんは暮らしの中で見てきた。


当たり前になりすぎたもの

西条の水は、日々の暮らしの中でどのように感じられているのか。

顕彰さんは、カルキ臭くない水のありがたみを話した。

コーヒーも、ご飯も、味が違う。

けれど、それに慣れてしまうと、それが当たり前になる。

「西条の水は生だから。自然のものだから」

自然のままの水がある。

しかも、おいしい。

それでも、暮らしの中ではその価値を意識しなくなっていく。

「なんでペットボトル水買うんねんって、わしなんか思ってるけど、もう今当たり前の光景やな」

西条の外へ出ると、水の違いはわかりやすい。

一方で、西条の中だけで暮らしていると、その違いを意識する機会は少ない。

だからこそ、顕彰さんは子どもの頃から水について学ぶことが大事だと考えている。

幼稚園、小学校、中学校。

その段階から、西条の水がどこから来て、暮らしや農業、産業とどうつながっているのかを学んでいく。

「そこですり込んでいかんと、やっぱもう当たり前で終わっちまう」

水の価値は、自然に伝わっていくものではない。

身近すぎるからこそ、知る機会をつくる必要がある。

顕彰さんの言葉には、そんな実感があった。


石鎚山を、どう見てきたのか

極楽寺は、石鎚山信仰と深く関わるお寺でもある。

では、石鎚山は地域の人にとって、どのような存在だったのだろうか。

かつて、石鎚山のお山開きには、瀬戸内海の島々から多くの参拝者が訪れていた。

外から来る人々にとって、石鎚山は信仰の対象だった。

一方で、山麓に暮らす人たちにとっては、その参拝者を迎えることが暮らしの一部でもあった。

顕彰さんによれば、少なくとも昭和の戦後しばらくまでは、参拝者が何日もかけて歩き、途中の宿に泊まりながら石鎚山を目指していたという。

お山開きの期間には、民宿や土産物、物産の売買も生まれ、地域にとって大切な現金収入の機会にもなっていた。

「石鎚山がありがたいというのは、台風の時ぐらいかな」

台風が来ても、石鎚山があるから大丈夫だろう。

そんな感覚は、顕彰さん自身の中にも染み込んでいるという。

けれど、石鎚山のおかげで水が生まれているという意識は、里に暮らす人たちの中では、それほど強くなかったのではないかと話す。

一方で、漁師たちは少し違った。

瀬戸内海の島々から船で訪れ、そこから歩いて石鎚山へ向かう人たちがいた。

中山川の河口あたりに船をつけ、氷見から横峰寺へ上がり、さらに石鎚へ向かう。

何日もかけて歩く参拝だった。

漁師にとって、山は海の上で自分の位置を知るための目印でもある。

そして、海の豊かさが山の豊かさとつながっていることを、彼らはよく知っていたのではないかと顕彰さんは話す。

「海の豊かさは山の豊かさにつながるってことは、彼らの方がよく知ってるんじゃないかな」

信仰の対象として石鎚山を見る人。

参拝者を迎えながら暮らしてきた人。

海から山を見てきた人。

同じ石鎚山でも、その関わり方によって見え方は違っていた。


神と仏が和合する場所

極楽寺は、石鎚山信仰の中でどのような役割を持ってきたのか。

顕彰さんは、宿のような役割、祈祷をする場所、そして石鎚山を紹介する役割があったと話す。

そこには、明治以前の日本の宗教のあり方が残っている。

神と仏が分かれていない世界。

神仏が和合している感覚。

明治の神仏分離によって制度上は分けられていったが、それ以前の日本では、八百万の神々の世界に仏教が入り、さまざまなものを混ぜ合わせながら受け止めてきた。

顕彰さんは、その感覚が日本文化にも深く残っているのではないかと話す。

もののけの世界。

自然の中に何かが宿る感覚。

神と仏、人と自然をはっきり切り分けない感覚。

話は、アニメや外国人から見た日本の神秘性にまで広がっていった。

そして、顕彰さんは今、こうした日本的な感覚があらためて見直されつつあるのではないかと考えている。

本来、日本人の暮らしの中には、自然と人が今よりも近く、切り離されずに関わり合う感覚があった。

西洋的な文明を取り入れてきた先で、今もう一度、そうした自然と人との関係に目が向き始めているのではないか。

顕彰さんの話は、石鎚山信仰から、今の環境問題へとつながっていった。


山岳信仰の中の水

山岳信仰において、水はどのような意味を持つのか。

顕彰さんは、山にいれば水はいたるところにあると話す。

湧き水があり、谷水がある。

山で暮らす人にとって、水は特別に探すものではなく、自然の中にあるものだった。

一方で、仏教の中では、水はとても大切な位置を占めている。

滝や川で身を清める。

それは、水と同化することでもあるという。

水の中に入り、水の性質に触れる。

「水っていうのは、やっぱり常に、二尺流れたら清まるっていうのが水の本性なんだけど」

水は止まることなく流れ、その中で清まり、常に変わり続ける。

そして、すべての命をつないでいく。

仏教には「六大」とという考え方がある。

地、水、火、風、空、識(心)。

自然を構成する六つの大きな要素の中に、水がある。

山に入る時の姿勢についても、顕彰さんは印象的な言葉を使った。

山へ行くのではない。

「山に入らせていただく」。

その謙虚さが、修験の世界にはあるという。

自然を征服するのではなく、その中へ入らせてもらう。

そこで感じたものを、できるだけ素直な心で受け取る。

水もまた、そんな自然の一部としてそこにある。


極楽寺という場所

極楽寺は、なぜ今の場所にあるのか。

その話は、極楽寺の前身にあたる寺の歴史へとさかのぼる。

顕彰さんによれば、もともと龍王山の懐にあった寺が、豊臣秀吉の四国征伐の時代に焼かれた。

その最後の弟子が山を下り、川を渡り、龍王山を望みながら拝むことができる場所を探した。

それが、現在の極楽寺につながる場所だったという。

その物語の中には、役行者の伝承もある。

龍王山から西に石鎚山を拝み、阿弥陀三尊が現れる。

さらに祈りを重ねると、仏が神である権現の姿として現れる。

仏と神が、一つの物語の中に一緒に出てくる。

そこにも、神仏習合の世界がある。

顕彰さんの話を聞いていると、極楽寺が今の場所にある背景にも、山との関係や、長く受け継がれてきた信仰の歴史が重なっていることが見えてくる。


うちぬき21と青石の風景

うちぬき21プロジェクトでは、西条の水と青石を軸に、まちの中に水や芸術を取り入れる活動を続けてきた。

青石を使った石彫やつくばい、石のベンチ。

石彫作家を招いて、ふれあいの里で滞在制作を行ったこともある。

田んぼの中で音楽イベントを開いたこともあったという。

「その時は面白かったな」

顕彰さんは、そう振り返る。

決まった形があったわけではない。

水や青石、芸術をきっかけに、西条のまちでいろいろな試みを重ねてきた。

一方で、活動を次の世代へつないでいく難しさも感じている。

「新しい若い人に繋がらん。ずっと当初のメンバーが未だに現役でやってる世界だから、難しいな、繋ぐってのは」

始まってから二十年以上。

活動そのものだけでなく、それを担う人をどうつないでいくのか。

今は、そこも一つの課題になっている。


水を石鎚山へ運ぶ

うちぬき水を石鎚山へ運ぶ取り組みもある。

海側の弘法水から水を汲み、歩いて石鎚山へ向かう。

途中で泊まり、翌日、山頂へ水を届ける。

水は、山から流れて海へ向かう。

その水を、今度は人の手で山へ戻していく。

顕彰さん自身、この取り組みを「修行」として捉えていた。

最初の頃は、参加する人にも「すごいことをやっている」という感覚があったという。

水への感謝を、言葉ではなく、歩くことや運ぶこととして表す。

ただ、続けていく中では現実的な難しさも出てくる。

毎年、人は年を重ねる。

歩くこともしんどくなっていく。

「持続可能ではない」

顕彰さんは、そう率直に話した。

どれだけ意味のある活動でも、続ける人がいなければ残らない。

思いだけではなく、担い手や方法も考えなければならない。

それは、うちぬき21の活動にも共通する課題だった。


子どもたちに、水をどう伝えるか

顕彰さんが繰り返し語ったのは、子どもたちへの教育の必要性だった。

西条の水を、子どもの頃から学ぶ。

小学校から、きちんとカリキュラムをつくる。

水がどこから来るのか。

農業や産業とどうつながっているのか。

なぜ、この地域では地下から水が湧くのか。

それを少しずつ知っていく。

「そこですり込んでいかんと、やっぱもう当たり前で終わっちまう」

西条で育つ子どもたちにとって、水は最初からそこにある。

だからこそ、価値を言葉にしなければ、そのまま通り過ぎてしまう。

水そのものだけではなく、水と暮らしがどうつながっているのかを伝える。

顕彰さんが教育に期待しているのは、そんな役割だった。


大自然のありがたみと、そこに住む縁

最後に、顕彰さんにとって西条の水とは何かを聞いた。

少し考えて、出てきたのは「大自然のありがたみ」という言葉だった。

そして、もう一つ。

そこに住む「縁」。

先祖代々この地にいる人もいる。

仕事の関係で来た人もいる。

何か思いを持って移り住んできた人もいる。

なぜ自分がこの場所にいるのか。

その背景には、さまざまな縁がある。

仏教では、すべては縁によって起こると考える。

人が西条に住むことも。

誰かと出会うことも。

水に気づくことも。

一つだけの原因で起きているわけではない。

さまざまな関係が重なって、今がある。

「思いを持っている人たちが、西条の水をクローズアップして、より西条に特有の個性的なものとして認識さすことができたら、私は素晴らしい街になると思う」

西条の水は、山から流れ、地下に蓄えられ、まちに湧き、田畑や暮らしを支えてきた。

一方で、その豊かさは、近くにいるほど見えにくくなる。

当たり前にある水を、当たり前のままにしないこと。

どこから来ているのかを知ること。

山や海、暮らしとのつながりを見ること。

そして、その水がある場所に自分も生きているという縁に気づくこと。

顕彰さんの話を聞いていると、西条の水を大切にすることは、水そのものを見るだけでは足りないのかもしれない。

その水を生む山。

そこに重なってきた信仰や文化。

水とともに暮らしてきた人。

その関係まで見えてきた時、当たり前だった水の姿も、少し違って見えてくる。

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