やりすぎないという距離感

January 11, 2026

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切中 春美さん

愛媛県西条市在住。
自宅近くを流れる水路や水場の清掃を、日常の延長として続けている。
かつて生活の中で使われていた水場や、今も水が流れ続ける水路と向き合いながら、静かにその場所を手入れしている。

拠点:愛媛県西条市

ーーーーーーーーーー

名水が湧き続けるまち、西条。
この土地の暮らしのすぐそばで、水場や水路と向き合い続けてきたのが切中さんだ。

かつて人が集い、使われていた水場は役割を終え、水路は町の側溝として扱われるようになった。
それでも水は流れ、蛍は訪れる。その環境を、切中さんは特別な理由も掲げず、日々の手入れとして守り続けている。

今回のインタビューでは、「なぜ守るのか」という答えではなく、変わっていく風景をどう受け止め、どんな距離感で関わってきたのかを手がかりに、暮らしの中で続いてきた営みをたどる。

ーーーーーーーーーー



生活の水だった場所が、守り方を教えてくれた


切中さんの家の近くにあるこの水路は、いまはホタルが出る場所として知られている。
けれど、最初からそうだったわけではない。

「40〜50年近く前は、農水路で、生活の水として使ってた場所だったと思うんですよ」

飲み水というより、洗ったり流したりするための水。
暮らしの中で当たり前に使われていた、水の通り道だった。

川底に土砂が溜まりやすくなり、切中さんの父は年に2〜3回、掃除を続けていた。

「父がやってるのを見てて、それが当たり前だと思ってました。
家のすぐ前にある水路だったから、汚れたら掃除するものだ、っていう感覚でした」

その“当たり前”を引き継ぐように、切中さんも手を動かすようになった。
すると、ある変化が起きる。

「途中から、なんかホタルが出てきて」




ホタルは「綺麗にしすぎる」と来なくなる


ホタルが出はじめたのは、今から20年ほど前のことだ。

「初めからいたわけじゃなくて、気づいたら出るようになってました」

それをきっかけに、掃除に対する意識が変わった。
綺麗にすればいい、という話ではなくなった。

「ここ、あんまり綺麗にしすぎたら、ホタルがいなくなる気がして」

自治会で水路の掃除が始まったのは、5〜6年ほど前。
だが切中さんは、この場所を“みんなで一斉に掃除する対象”にはしたくなかった。

「善意でやってくれるのは分かるんですけど、
やってもらったら多分、ホタルは来なくなるなって思って」

実際に何かが起きたわけではない。
けれど、起きてからでは遅い。

「だから、ここはしないでくださいって、お願いしてます」



「見苦しくならない」程度に整える


掃除の頻度は、年に3〜4回ほど。

「ちょこちょこ、ですね。年に何回か」

放っておくと草が伸び、周囲の誰かが「やらないかん」と思ってしまう。

「見苦しくなると、周りの人が『もう掃除せんといかん』って思うじゃないですか」

だから、“やらなくていい状態”を保つ。
ただし、ホタルの時期には手を入れない。

「6月の終わりから7月頃までは、掃除しないようにしてます」

ホタルの数は年によって違う。

「雨が多いと流される気がしますね。
でも、来る年は来ます」

毎年、「今年は出るかな」という楽しみがある。



水洗い場は、暮らしのインフラだった


水路の近くには、かつて水洗い場があった。

「昔はね、農家の人が野菜を洗ったり、スイカを冷やしたりしてました」

洗い場は段に分かれ、用途によって使い分けられていた。

「大事なものほど上で洗って、下でざっと流す、みたいな感じです」

暮らしが変わり、冷蔵庫が普及する。
洗い場は、静かに役目を終えていった。

「今はもう、わざわざ使うこともないですね」




外に出て初めて、水の価値を知った


切中さんが水の価値を強く意識したのは、都会に出たときだった。

「都会の水、まずいなと思いました」

水は買うもの。
水道水を飲まない人が多い。

「西条では、当たり前に水道から飲んでましたから」

その違いが、西条の水の豊かさを際立たせた。

「水がただで飲めるって、やっぱりすごいですよね」



水が見えると、人は立ち止まる


市街地では、水路に蓋がされる場所が増えている。

「安全のことを考えたら、仕方ない部分もあると思うんですけど」

それでも、水は見えたほうがいい。

「流れてるのが見えると、覗きたくなるじゃないですか」

綺麗な水は、人の行動を変える。

「汚いところは、物を捨てやすい。
綺麗なところは、捨てにくい」

切中さんは、水が汚かった時代も知っている。

「昔は、赤とか青とか、ほんとにひどかったです」

だからこそ、今の状態を残したい。

「汚い時も、綺麗になった時も知ってるから」



綺麗にしすぎないという選択


水路を徹底的に整えれば、見た目は綺麗になる。

「草も、落ち葉も、川底のものも、全部取ったら綺麗なんですけどね。
でも、そうすると情緒がなくなるんですよ」

少し草があって、
花が咲いて、
水が揺らいでいる。

「そのくらいが、ちょうどいいと思うんです」

義務では、続かない。

「楽しみがないと、続かないですよ」

ホタルが来る“塩梅”で掃除をする。
その感覚は、暮らしの中で育ってきた。

やりすぎず、放置せず。
その間にある境界線を、切中さんは今日も探している。


WATER LOOP PROJECT

やりすぎないという距離感

January 11, 2026

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切中 春美さん

愛媛県西条市在住。
自宅近くを流れる水路や水場の清掃を、日常の延長として続けている。
かつて生活の中で使われていた水場や、今も水が流れ続ける水路と向き合いながら、静かにその場所を手入れしている。

拠点:愛媛県西条市

ーーーーーーーーーー

名水が湧き続けるまち、西条。
この土地の暮らしのすぐそばで、水場や水路と向き合い続けてきたのが切中さんだ。

かつて人が集い、使われていた水場は役割を終え、水路は町の側溝として扱われるようになった。
それでも水は流れ、蛍は訪れる。その環境を、切中さんは特別な理由も掲げず、日々の手入れとして守り続けている。

今回のインタビューでは、「なぜ守るのか」という答えではなく、変わっていく風景をどう受け止め、どんな距離感で関わってきたのかを手がかりに、暮らしの中で続いてきた営みをたどる。

ーーーーーーーーーー



生活の水だった場所が、守り方を教えてくれた


切中さんの家の近くにあるこの水路は、いまはホタルが出る場所として知られている。
けれど、最初からそうだったわけではない。

「40〜50年近く前は、農水路で、生活の水として使ってた場所だったと思うんですよ」

飲み水というより、洗ったり流したりするための水。
暮らしの中で当たり前に使われていた、水の通り道だった。

川底に土砂が溜まりやすくなり、切中さんの父は年に2〜3回、掃除を続けていた。

「父がやってるのを見てて、それが当たり前だと思ってました。
家のすぐ前にある水路だったから、汚れたら掃除するものだ、っていう感覚でした」

その“当たり前”を引き継ぐように、切中さんも手を動かすようになった。
すると、ある変化が起きる。

「途中から、なんかホタルが出てきて」




ホタルは「綺麗にしすぎる」と来なくなる


ホタルが出はじめたのは、今から20年ほど前のことだ。

「初めからいたわけじゃなくて、気づいたら出るようになってました」

それをきっかけに、掃除に対する意識が変わった。
綺麗にすればいい、という話ではなくなった。

「ここ、あんまり綺麗にしすぎたら、ホタルがいなくなる気がして」

自治会で水路の掃除が始まったのは、5〜6年ほど前。
だが切中さんは、この場所を“みんなで一斉に掃除する対象”にはしたくなかった。

「善意でやってくれるのは分かるんですけど、
やってもらったら多分、ホタルは来なくなるなって思って」

実際に何かが起きたわけではない。
けれど、起きてからでは遅い。

「だから、ここはしないでくださいって、お願いしてます」



「見苦しくならない」程度に整える


掃除の頻度は、年に3〜4回ほど。

「ちょこちょこ、ですね。年に何回か」

放っておくと草が伸び、周囲の誰かが「やらないかん」と思ってしまう。

「見苦しくなると、周りの人が『もう掃除せんといかん』って思うじゃないですか」

だから、“やらなくていい状態”を保つ。
ただし、ホタルの時期には手を入れない。

「6月の終わりから7月頃までは、掃除しないようにしてます」

ホタルの数は年によって違う。

「雨が多いと流される気がしますね。
でも、来る年は来ます」

毎年、「今年は出るかな」という楽しみがある。



水洗い場は、暮らしのインフラだった


水路の近くには、かつて水洗い場があった。

「昔はね、農家の人が野菜を洗ったり、スイカを冷やしたりしてました」

洗い場は段に分かれ、用途によって使い分けられていた。

「大事なものほど上で洗って、下でざっと流す、みたいな感じです」

暮らしが変わり、冷蔵庫が普及する。
洗い場は、静かに役目を終えていった。

「今はもう、わざわざ使うこともないですね」




外に出て初めて、水の価値を知った


切中さんが水の価値を強く意識したのは、都会に出たときだった。

「都会の水、まずいなと思いました」

水は買うもの。
水道水を飲まない人が多い。

「西条では、当たり前に水道から飲んでましたから」

その違いが、西条の水の豊かさを際立たせた。

「水がただで飲めるって、やっぱりすごいですよね」



水が見えると、人は立ち止まる


市街地では、水路に蓋がされる場所が増えている。

「安全のことを考えたら、仕方ない部分もあると思うんですけど」

それでも、水は見えたほうがいい。

「流れてるのが見えると、覗きたくなるじゃないですか」

綺麗な水は、人の行動を変える。

「汚いところは、物を捨てやすい。
綺麗なところは、捨てにくい」

切中さんは、水が汚かった時代も知っている。

「昔は、赤とか青とか、ほんとにひどかったです」

だからこそ、今の状態を残したい。

「汚い時も、綺麗になった時も知ってるから」



綺麗にしすぎないという選択


水路を徹底的に整えれば、見た目は綺麗になる。

「草も、落ち葉も、川底のものも、全部取ったら綺麗なんですけどね。
でも、そうすると情緒がなくなるんですよ」

少し草があって、
花が咲いて、
水が揺らいでいる。

「そのくらいが、ちょうどいいと思うんです」

義務では、続かない。

「楽しみがないと、続かないですよ」

ホタルが来る“塩梅”で掃除をする。
その感覚は、暮らしの中で育ってきた。

やりすぎず、放置せず。
その間にある境界線を、切中さんは今日も探している。


WATER LOOP PROJECT

やりすぎないという距離感

January 11, 2026

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切中 春美さん

愛媛県西条市在住。
自宅近くを流れる水路や水場の清掃を、日常の延長として続けている。
かつて生活の中で使われていた水場や、今も水が流れ続ける水路と向き合いながら、静かにその場所を手入れしている。

拠点:愛媛県西条市

ーーーーーーーーーー

名水が湧き続けるまち、西条。
この土地の暮らしのすぐそばで、水場や水路と向き合い続けてきたのが切中さんだ。

かつて人が集い、使われていた水場は役割を終え、水路は町の側溝として扱われるようになった。
それでも水は流れ、蛍は訪れる。その環境を、切中さんは特別な理由も掲げず、日々の手入れとして守り続けている。

今回のインタビューでは、「なぜ守るのか」という答えではなく、変わっていく風景をどう受け止め、どんな距離感で関わってきたのかを手がかりに、暮らしの中で続いてきた営みをたどる。

ーーーーーーーーーー



生活の水だった場所が、守り方を教えてくれた


切中さんの家の近くにあるこの水路は、いまはホタルが出る場所として知られている。
けれど、最初からそうだったわけではない。

「40〜50年近く前は、農水路で、生活の水として使ってた場所だったと思うんですよ」

飲み水というより、洗ったり流したりするための水。
暮らしの中で当たり前に使われていた、水の通り道だった。

川底に土砂が溜まりやすくなり、切中さんの父は年に2〜3回、掃除を続けていた。

「父がやってるのを見てて、それが当たり前だと思ってました。
家のすぐ前にある水路だったから、汚れたら掃除するものだ、っていう感覚でした」

その“当たり前”を引き継ぐように、切中さんも手を動かすようになった。
すると、ある変化が起きる。

「途中から、なんかホタルが出てきて」




ホタルは「綺麗にしすぎる」と来なくなる


ホタルが出はじめたのは、今から20年ほど前のことだ。

「初めからいたわけじゃなくて、気づいたら出るようになってました」

それをきっかけに、掃除に対する意識が変わった。
綺麗にすればいい、という話ではなくなった。

「ここ、あんまり綺麗にしすぎたら、ホタルがいなくなる気がして」

自治会で水路の掃除が始まったのは、5〜6年ほど前。
だが切中さんは、この場所を“みんなで一斉に掃除する対象”にはしたくなかった。

「善意でやってくれるのは分かるんですけど、
やってもらったら多分、ホタルは来なくなるなって思って」

実際に何かが起きたわけではない。
けれど、起きてからでは遅い。

「だから、ここはしないでくださいって、お願いしてます」



「見苦しくならない」程度に整える


掃除の頻度は、年に3〜4回ほど。

「ちょこちょこ、ですね。年に何回か」

放っておくと草が伸び、周囲の誰かが「やらないかん」と思ってしまう。

「見苦しくなると、周りの人が『もう掃除せんといかん』って思うじゃないですか」

だから、“やらなくていい状態”を保つ。
ただし、ホタルの時期には手を入れない。

「6月の終わりから7月頃までは、掃除しないようにしてます」

ホタルの数は年によって違う。

「雨が多いと流される気がしますね。
でも、来る年は来ます」

毎年、「今年は出るかな」という楽しみがある。



水洗い場は、暮らしのインフラだった


水路の近くには、かつて水洗い場があった。

「昔はね、農家の人が野菜を洗ったり、スイカを冷やしたりしてました」

洗い場は段に分かれ、用途によって使い分けられていた。

「大事なものほど上で洗って、下でざっと流す、みたいな感じです」

暮らしが変わり、冷蔵庫が普及する。
洗い場は、静かに役目を終えていった。

「今はもう、わざわざ使うこともないですね」




外に出て初めて、水の価値を知った


切中さんが水の価値を強く意識したのは、都会に出たときだった。

「都会の水、まずいなと思いました」

水は買うもの。
水道水を飲まない人が多い。

「西条では、当たり前に水道から飲んでましたから」

その違いが、西条の水の豊かさを際立たせた。

「水がただで飲めるって、やっぱりすごいですよね」



水が見えると、人は立ち止まる


市街地では、水路に蓋がされる場所が増えている。

「安全のことを考えたら、仕方ない部分もあると思うんですけど」

それでも、水は見えたほうがいい。

「流れてるのが見えると、覗きたくなるじゃないですか」

綺麗な水は、人の行動を変える。

「汚いところは、物を捨てやすい。
綺麗なところは、捨てにくい」

切中さんは、水が汚かった時代も知っている。

「昔は、赤とか青とか、ほんとにひどかったです」

だからこそ、今の状態を残したい。

「汚い時も、綺麗になった時も知ってるから」



綺麗にしすぎないという選択


水路を徹底的に整えれば、見た目は綺麗になる。

「草も、落ち葉も、川底のものも、全部取ったら綺麗なんですけどね。
でも、そうすると情緒がなくなるんですよ」

少し草があって、
花が咲いて、
水が揺らいでいる。

「そのくらいが、ちょうどいいと思うんです」

義務では、続かない。

「楽しみがないと、続かないですよ」

ホタルが来る“塩梅”で掃除をする。
その感覚は、暮らしの中で育ってきた。

やりすぎず、放置せず。
その間にある境界線を、切中さんは今日も探している。


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