May 15, 2026

小野 豊さん
風景家。
庭やランドスケープの設計・施工を通して、その土地の自然や文化、人の営みに根差した風景づくりに取り組む。
久万高原町を拠点に、林業関係者と連携した「黄金の森プロジェクト」にも関わり、森の新しい活用や、多様な山のあり方を模索している。
地域の自然や水の流れ、人の暮らしを読み取りながら、“営みの先に立ち上がる風景”をテーマに活動を続けている。
拠点:愛媛県久万高原町
所属:HIFUMI
関連リンク:https://nc-hifumi.com
ーーーーーーーーーー
久万高原町。
山々に囲まれた森の中で、小野豊さんは「風景家」として活動している。
庭師でも、造園家でもなく、風景家。
その言葉には、単に空間を整えるだけではない、小野さん独自の視点が込められている。
山、庭、水、人の営み。それらを切り離して考えるのではなく、ひとつの流れとして捉えながら、その土地に根差した風景をつくっていく。
今回訪れたのは、小野さんが関わる「黄金の森プロジェクト」の現場。
林業、森の再生、人の居場所づくり。
さまざまな要素が重なり合う森の中で、小野さんは「自然を守る」という言葉に違和感を覚えると言う。
その理由を辿っていくと、そこには「人と自然をどう分けずに捉えるか」という、小野さんなりの視点があった。
ーーーーーーーーーー
「子どもの頃は、ずっと神社が遊び場だったんです」
小野さんはそう振り返る。
記憶に残っているのは、景色そのものよりも、森の中の感覚だという。
「春の匂いとか、雨上がりの森の感じとか。あとから造園をやり始めて、“あ、あの匂いってこれだったのか”って繋がるんですよね」
風景を見る、というよりも、その中に入り込んでいた感覚。
「大人になると、自然って“見るもの”になるじゃないですか。 でも子どもの頃って、完全に中にいるんですよね」
葉っぱの感触。 風の流れ。 土の匂い。
そうした身体感覚が、小野さんの原点になっている。
小野さんが造園の仕事に入ったのは、強い憧れがあったからではなかった。
「外の仕事だったら何でもよかったんですよね」
農業高校へ進み、その流れで造園の道へ。
ただ、転機になったのは、仕事を始めて10年ほど経った頃だった。
「庭を壊す時代に入ったんですよ」
祖父の代がつくった庭を、次の世代が解体していく。
『広くなった』『車が停めやすくなった』
そんな言葉を聞くたびに、小野さんの中に違和感が積み重なっていった。
「おじいちゃんは、あんなに喜んでくれたんです。 でも結果的に、次の世代には“邪魔なもの”になってしまった。 “俺は今まで何をつくってきたんだろう”って思ったんですよね」
そこから小野さんは、“残るもの”とは何かを考え始める。
なぜ神社は残り続けるのか。 なぜ人は、ある空間を大切にしたくなるのか。
その答えを探る中で、小野さんは「風景」という考え方へ辿り着いていく。
小野さんは、「風景」を単なる景色としては捉えていない。
そこには必ず、人の営みがあるという。
「田んぼでおじいちゃんが作業してたり、煙が上がってたり、そういう生活の気配も含めて風景なんですよね」
美しい山があるだけではなく、そこに人がどう関わってきたのか。
どう水を使い、どう暮らしてきたのか。
その積み重ねが、風景になる。
「だから僕は、“風景をつくる”というより、“営みの中に形をつくる”感覚なんですよ」
地域の自然。 そこから生まれる文化。 そこに暮らす人たちの生活。
それらを読み取りながら、その土地に合った形をつくっていく。
それが、小野さんの考える風景づくりだった。

庭をつくる時、小野さんが最初に見るのは水だ。
「まず水がどう流れているかを見るんです」
どこを掘るか。 どこを盛るか。
水がどう流れるかによって、その土地の環境は大きく変わる。
「水がうまくいけば、植物は育つんですよ」
乾燥する場所。 湿る場所。
その違いによって、生える植物も変わる。
「平らな土地でも、水の流れを変えるだけで、植えられるものが変わるんです」
小野さんにとって、庭は単なる装飾ではない。
水と土地、人の関係を整える行為でもある。
小野さんは、街の問題についても独特の視点で語る。
「山と海の間にあるのが街なんですよね」
本来、山から流れてきた水は、田んぼや里山を通り、人の営みを経由しながら海へ流れていた。
その過程で、水は浄化され、栄養を蓄えながら循環していたという。
「今は排水が全部、直結してるんですよ。 フィルターがなくなってる」
だからこそ、小野さんは庭や公園の役割を重要視している。
「庭って、中間地点なんです」
水をただ排水するのではなく、土地へ返していく。
植物が育ち、人が過ごし、微生物が循環する場所をつくる。
小野さんは、「自然を守る」という言葉に違和感を持っている。
「僕は、人を守るために自然があると思ってるんです」
木を切るな。 開発するな。
そう単純な話ではない。
人が生きるためには、自然を使う必要がある。
木を切ることもある。 土を使うこともある。
ただ、その行為に対して、感謝や関係性が失われた時に、バランスが崩れていく。
「昔は、自然に対してちゃんと“返してた”んですよね」
祭り。 しめ縄。 祈り。
それらは、自然に対する“お返し”でもあったのではないかと、小野さんは考えている。
「今って、人間同士のお返しはあるけど、自然に対するお返しがなくなってるんですよ」
だからこそ、人は無意識に植樹をしたり、自然を求めたりしているのではないか。
「細胞レベルで、何か返したいって思ってるのかもしれないですね」

では、小野さんにとって「違和感のある風景」とは何なのか。
その問いに対して、小野さんは「バランスが崩れている状態」だと答える。
「自然って、“なろうとする形”があるんですよ」
川は蛇行しようとする。 葉っぱは溜まろうとする。
自然には、自然な形がある。
それを無視したものは、いずれ壊れていく。
「自然は、そうじゃないものを壊そうとするんです」
だから小野さんは、人間が“自然に逆らわない形”を探していく。
それは、単なるデザインではない。
土地の性質を読み、人が安心できる環境をつくることでもある。
「安心できる場所があるから、人は自然を綺麗だと感じられるんですよね」
黄金の森プロジェクトでも、小野さんは必要以上に手を加えない。
整備しているのは、一部の通路や滞在スペースだけ。
それ以外は、ほとんど自然に任せている。
「でも、人ってそれだけで“綺麗”って感じるんですよ」
人が通る場所だけを整えることで、周囲の自然がより美しく見えてくる。
「全部を管理しようとすると、無理なんです」
だからこそ、小野さんは“境界”をつくる。
人が過ごす場所。 自然に任せる場所。
そのバランスを調整していく。
「光と影みたいなものなんですよね」
時間が経つことで、美しくなっていく空間がある。
その理由について、小野さんはこう語る。
「人がつくったものに、自然が返ってくるんですよ」
苔。 風化。古い木材の質感。
日本人が“わびさび”に美しさを感じるのも、その感覚に近いのではないかという。
「新品って、ちょっとピリピリしてるじゃないですか。 でも時間が経つことで、自然が戻ってくるんですよね」
人の営みだけではなく、時間や自然もまた、風景をつくっていく。

最後に、小野さんは、これから地域にどんな風景が残っていってほしいかを語ってくれた。
「地域の人が、自分たちの風景を愛せるようになってほしいんです」
他の地域の価値基準ではなく、その土地の自然や文化の中で、“良い”を見つけられること。
「何かを作るというより、地域を愛せる人が増えることの方が大事なんだと思います」
地域の自然。そこから生まれる営み。そして、その土地ならではの文化。
そうしたものが積み重なった結果として、風景は生まれていく。
「僕は、“当たり前”をつくりたいんですよね」
西条なら、西条の当たり前。
その土地の自然を使い、その土地の文化があり、その土地らしい形がある。
「風景って、最後に現れてくるものなんですよ」
人の営みがあり、自然があり、その土地の時間が流れる。
その積み重ねの先に、風景は立ち上がってくるのかもしれない。

May 15, 2026

小野 豊さん
風景家。
庭やランドスケープの設計・施工を通して、その土地の自然や文化、人の営みに根差した風景づくりに取り組む。
久万高原町を拠点に、林業関係者と連携した「黄金の森プロジェクト」にも関わり、森の新しい活用や、多様な山のあり方を模索している。
地域の自然や水の流れ、人の暮らしを読み取りながら、“営みの先に立ち上がる風景”をテーマに活動を続けている。
拠点:愛媛県久万高原町
所属:HIFUMI
関連リンク:https://nc-hifumi.com
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久万高原町。
山々に囲まれた森の中で、小野豊さんは「風景家」として活動している。
庭師でも、造園家でもなく、風景家。
その言葉には、単に空間を整えるだけではない、小野さん独自の視点が込められている。
山、庭、水、人の営み。それらを切り離して考えるのではなく、ひとつの流れとして捉えながら、その土地に根差した風景をつくっていく。
今回訪れたのは、小野さんが関わる「黄金の森プロジェクト」の現場。
林業、森の再生、人の居場所づくり。
さまざまな要素が重なり合う森の中で、小野さんは「自然を守る」という言葉に違和感を覚えると言う。
その理由を辿っていくと、そこには「人と自然をどう分けずに捉えるか」という、小野さんなりの視点があった。
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「子どもの頃は、ずっと神社が遊び場だったんです」
小野さんはそう振り返る。
記憶に残っているのは、景色そのものよりも、森の中の感覚だという。
「春の匂いとか、雨上がりの森の感じとか。あとから造園をやり始めて、“あ、あの匂いってこれだったのか”って繋がるんですよね」
風景を見る、というよりも、その中に入り込んでいた感覚。
「大人になると、自然って“見るもの”になるじゃないですか。 でも子どもの頃って、完全に中にいるんですよね」
葉っぱの感触。 風の流れ。 土の匂い。
そうした身体感覚が、小野さんの原点になっている。
小野さんが造園の仕事に入ったのは、強い憧れがあったからではなかった。
「外の仕事だったら何でもよかったんですよね」
農業高校へ進み、その流れで造園の道へ。
ただ、転機になったのは、仕事を始めて10年ほど経った頃だった。
「庭を壊す時代に入ったんですよ」
祖父の代がつくった庭を、次の世代が解体していく。
『広くなった』『車が停めやすくなった』
そんな言葉を聞くたびに、小野さんの中に違和感が積み重なっていった。
「おじいちゃんは、あんなに喜んでくれたんです。 でも結果的に、次の世代には“邪魔なもの”になってしまった。 “俺は今まで何をつくってきたんだろう”って思ったんですよね」
そこから小野さんは、“残るもの”とは何かを考え始める。
なぜ神社は残り続けるのか。 なぜ人は、ある空間を大切にしたくなるのか。
その答えを探る中で、小野さんは「風景」という考え方へ辿り着いていく。
小野さんは、「風景」を単なる景色としては捉えていない。
そこには必ず、人の営みがあるという。
「田んぼでおじいちゃんが作業してたり、煙が上がってたり、そういう生活の気配も含めて風景なんですよね」
美しい山があるだけではなく、そこに人がどう関わってきたのか。
どう水を使い、どう暮らしてきたのか。
その積み重ねが、風景になる。
「だから僕は、“風景をつくる”というより、“営みの中に形をつくる”感覚なんですよ」
地域の自然。 そこから生まれる文化。 そこに暮らす人たちの生活。
それらを読み取りながら、その土地に合った形をつくっていく。
それが、小野さんの考える風景づくりだった。

庭をつくる時、小野さんが最初に見るのは水だ。
「まず水がどう流れているかを見るんです」
どこを掘るか。 どこを盛るか。
水がどう流れるかによって、その土地の環境は大きく変わる。
「水がうまくいけば、植物は育つんですよ」
乾燥する場所。 湿る場所。
その違いによって、生える植物も変わる。
「平らな土地でも、水の流れを変えるだけで、植えられるものが変わるんです」
小野さんにとって、庭は単なる装飾ではない。
水と土地、人の関係を整える行為でもある。
小野さんは、街の問題についても独特の視点で語る。
「山と海の間にあるのが街なんですよね」
本来、山から流れてきた水は、田んぼや里山を通り、人の営みを経由しながら海へ流れていた。
その過程で、水は浄化され、栄養を蓄えながら循環していたという。
「今は排水が全部、直結してるんですよ。 フィルターがなくなってる」
だからこそ、小野さんは庭や公園の役割を重要視している。
「庭って、中間地点なんです」
水をただ排水するのではなく、土地へ返していく。
植物が育ち、人が過ごし、微生物が循環する場所をつくる。
小野さんは、「自然を守る」という言葉に違和感を持っている。
「僕は、人を守るために自然があると思ってるんです」
木を切るな。 開発するな。
そう単純な話ではない。
人が生きるためには、自然を使う必要がある。
木を切ることもある。 土を使うこともある。
ただ、その行為に対して、感謝や関係性が失われた時に、バランスが崩れていく。
「昔は、自然に対してちゃんと“返してた”んですよね」
祭り。 しめ縄。 祈り。
それらは、自然に対する“お返し”でもあったのではないかと、小野さんは考えている。
「今って、人間同士のお返しはあるけど、自然に対するお返しがなくなってるんですよ」
だからこそ、人は無意識に植樹をしたり、自然を求めたりしているのではないか。
「細胞レベルで、何か返したいって思ってるのかもしれないですね」

では、小野さんにとって「違和感のある風景」とは何なのか。
その問いに対して、小野さんは「バランスが崩れている状態」だと答える。
「自然って、“なろうとする形”があるんですよ」
川は蛇行しようとする。 葉っぱは溜まろうとする。
自然には、自然な形がある。
それを無視したものは、いずれ壊れていく。
「自然は、そうじゃないものを壊そうとするんです」
だから小野さんは、人間が“自然に逆らわない形”を探していく。
それは、単なるデザインではない。
土地の性質を読み、人が安心できる環境をつくることでもある。
「安心できる場所があるから、人は自然を綺麗だと感じられるんですよね」
黄金の森プロジェクトでも、小野さんは必要以上に手を加えない。
整備しているのは、一部の通路や滞在スペースだけ。
それ以外は、ほとんど自然に任せている。
「でも、人ってそれだけで“綺麗”って感じるんですよ」
人が通る場所だけを整えることで、周囲の自然がより美しく見えてくる。
「全部を管理しようとすると、無理なんです」
だからこそ、小野さんは“境界”をつくる。
人が過ごす場所。 自然に任せる場所。
そのバランスを調整していく。
「光と影みたいなものなんですよね」
時間が経つことで、美しくなっていく空間がある。
その理由について、小野さんはこう語る。
「人がつくったものに、自然が返ってくるんですよ」
苔。 風化。古い木材の質感。
日本人が“わびさび”に美しさを感じるのも、その感覚に近いのではないかという。
「新品って、ちょっとピリピリしてるじゃないですか。 でも時間が経つことで、自然が戻ってくるんですよね」
人の営みだけではなく、時間や自然もまた、風景をつくっていく。

最後に、小野さんは、これから地域にどんな風景が残っていってほしいかを語ってくれた。
「地域の人が、自分たちの風景を愛せるようになってほしいんです」
他の地域の価値基準ではなく、その土地の自然や文化の中で、“良い”を見つけられること。
「何かを作るというより、地域を愛せる人が増えることの方が大事なんだと思います」
地域の自然。そこから生まれる営み。そして、その土地ならではの文化。
そうしたものが積み重なった結果として、風景は生まれていく。
「僕は、“当たり前”をつくりたいんですよね」
西条なら、西条の当たり前。
その土地の自然を使い、その土地の文化があり、その土地らしい形がある。
「風景って、最後に現れてくるものなんですよ」
人の営みがあり、自然があり、その土地の時間が流れる。
その積み重ねの先に、風景は立ち上がってくるのかもしれない。

May 15, 2026

小野 豊さん
風景家。
庭やランドスケープの設計・施工を通して、その土地の自然や文化、人の営みに根差した風景づくりに取り組む。
久万高原町を拠点に、林業関係者と連携した「黄金の森プロジェクト」にも関わり、森の新しい活用や、多様な山のあり方を模索している。
地域の自然や水の流れ、人の暮らしを読み取りながら、“営みの先に立ち上がる風景”をテーマに活動を続けている。
拠点:愛媛県久万高原町
所属:HIFUMI
関連リンク:https://nc-hifumi.com
ーーーーーーーーーー
久万高原町。
山々に囲まれた森の中で、小野豊さんは「風景家」として活動している。
庭師でも、造園家でもなく、風景家。
その言葉には、単に空間を整えるだけではない、小野さん独自の視点が込められている。
山、庭、水、人の営み。それらを切り離して考えるのではなく、ひとつの流れとして捉えながら、その土地に根差した風景をつくっていく。
今回訪れたのは、小野さんが関わる「黄金の森プロジェクト」の現場。
林業、森の再生、人の居場所づくり。
さまざまな要素が重なり合う森の中で、小野さんは「自然を守る」という言葉に違和感を覚えると言う。
その理由を辿っていくと、そこには「人と自然をどう分けずに捉えるか」という、小野さんなりの視点があった。
ーーーーーーーーーー
「子どもの頃は、ずっと神社が遊び場だったんです」
小野さんはそう振り返る。
記憶に残っているのは、景色そのものよりも、森の中の感覚だという。
「春の匂いとか、雨上がりの森の感じとか。あとから造園をやり始めて、“あ、あの匂いってこれだったのか”って繋がるんですよね」
風景を見る、というよりも、その中に入り込んでいた感覚。
「大人になると、自然って“見るもの”になるじゃないですか。 でも子どもの頃って、完全に中にいるんですよね」
葉っぱの感触。 風の流れ。 土の匂い。
そうした身体感覚が、小野さんの原点になっている。
小野さんが造園の仕事に入ったのは、強い憧れがあったからではなかった。
「外の仕事だったら何でもよかったんですよね」
農業高校へ進み、その流れで造園の道へ。
ただ、転機になったのは、仕事を始めて10年ほど経った頃だった。
「庭を壊す時代に入ったんですよ」
祖父の代がつくった庭を、次の世代が解体していく。
『広くなった』『車が停めやすくなった』
そんな言葉を聞くたびに、小野さんの中に違和感が積み重なっていった。
「おじいちゃんは、あんなに喜んでくれたんです。 でも結果的に、次の世代には“邪魔なもの”になってしまった。 “俺は今まで何をつくってきたんだろう”って思ったんですよね」
そこから小野さんは、“残るもの”とは何かを考え始める。
なぜ神社は残り続けるのか。 なぜ人は、ある空間を大切にしたくなるのか。
その答えを探る中で、小野さんは「風景」という考え方へ辿り着いていく。
小野さんは、「風景」を単なる景色としては捉えていない。
そこには必ず、人の営みがあるという。
「田んぼでおじいちゃんが作業してたり、煙が上がってたり、そういう生活の気配も含めて風景なんですよね」
美しい山があるだけではなく、そこに人がどう関わってきたのか。
どう水を使い、どう暮らしてきたのか。
その積み重ねが、風景になる。
「だから僕は、“風景をつくる”というより、“営みの中に形をつくる”感覚なんですよ」
地域の自然。 そこから生まれる文化。 そこに暮らす人たちの生活。
それらを読み取りながら、その土地に合った形をつくっていく。
それが、小野さんの考える風景づくりだった。

庭をつくる時、小野さんが最初に見るのは水だ。
「まず水がどう流れているかを見るんです」
どこを掘るか。 どこを盛るか。
水がどう流れるかによって、その土地の環境は大きく変わる。
「水がうまくいけば、植物は育つんですよ」
乾燥する場所。 湿る場所。
その違いによって、生える植物も変わる。
「平らな土地でも、水の流れを変えるだけで、植えられるものが変わるんです」
小野さんにとって、庭は単なる装飾ではない。
水と土地、人の関係を整える行為でもある。
小野さんは、街の問題についても独特の視点で語る。
「山と海の間にあるのが街なんですよね」
本来、山から流れてきた水は、田んぼや里山を通り、人の営みを経由しながら海へ流れていた。
その過程で、水は浄化され、栄養を蓄えながら循環していたという。
「今は排水が全部、直結してるんですよ。 フィルターがなくなってる」
だからこそ、小野さんは庭や公園の役割を重要視している。
「庭って、中間地点なんです」
水をただ排水するのではなく、土地へ返していく。
植物が育ち、人が過ごし、微生物が循環する場所をつくる。
小野さんは、「自然を守る」という言葉に違和感を持っている。
「僕は、人を守るために自然があると思ってるんです」
木を切るな。 開発するな。
そう単純な話ではない。
人が生きるためには、自然を使う必要がある。
木を切ることもある。 土を使うこともある。
ただ、その行為に対して、感謝や関係性が失われた時に、バランスが崩れていく。
「昔は、自然に対してちゃんと“返してた”んですよね」
祭り。 しめ縄。 祈り。
それらは、自然に対する“お返し”でもあったのではないかと、小野さんは考えている。
「今って、人間同士のお返しはあるけど、自然に対するお返しがなくなってるんですよ」
だからこそ、人は無意識に植樹をしたり、自然を求めたりしているのではないか。
「細胞レベルで、何か返したいって思ってるのかもしれないですね」

では、小野さんにとって「違和感のある風景」とは何なのか。
その問いに対して、小野さんは「バランスが崩れている状態」だと答える。
「自然って、“なろうとする形”があるんですよ」
川は蛇行しようとする。 葉っぱは溜まろうとする。
自然には、自然な形がある。
それを無視したものは、いずれ壊れていく。
「自然は、そうじゃないものを壊そうとするんです」
だから小野さんは、人間が“自然に逆らわない形”を探していく。
それは、単なるデザインではない。
土地の性質を読み、人が安心できる環境をつくることでもある。
「安心できる場所があるから、人は自然を綺麗だと感じられるんですよね」
黄金の森プロジェクトでも、小野さんは必要以上に手を加えない。
整備しているのは、一部の通路や滞在スペースだけ。
それ以外は、ほとんど自然に任せている。
「でも、人ってそれだけで“綺麗”って感じるんですよ」
人が通る場所だけを整えることで、周囲の自然がより美しく見えてくる。
「全部を管理しようとすると、無理なんです」
だからこそ、小野さんは“境界”をつくる。
人が過ごす場所。 自然に任せる場所。
そのバランスを調整していく。
「光と影みたいなものなんですよね」
時間が経つことで、美しくなっていく空間がある。
その理由について、小野さんはこう語る。
「人がつくったものに、自然が返ってくるんですよ」
苔。 風化。古い木材の質感。
日本人が“わびさび”に美しさを感じるのも、その感覚に近いのではないかという。
「新品って、ちょっとピリピリしてるじゃないですか。 でも時間が経つことで、自然が戻ってくるんですよね」
人の営みだけではなく、時間や自然もまた、風景をつくっていく。

最後に、小野さんは、これから地域にどんな風景が残っていってほしいかを語ってくれた。
「地域の人が、自分たちの風景を愛せるようになってほしいんです」
他の地域の価値基準ではなく、その土地の自然や文化の中で、“良い”を見つけられること。
「何かを作るというより、地域を愛せる人が増えることの方が大事なんだと思います」
地域の自然。そこから生まれる営み。そして、その土地ならではの文化。
そうしたものが積み重なった結果として、風景は生まれていく。
「僕は、“当たり前”をつくりたいんですよね」
西条なら、西条の当たり前。
その土地の自然を使い、その土地の文化があり、その土地らしい形がある。
「風景って、最後に現れてくるものなんですよ」
人の営みがあり、自然があり、その土地の時間が流れる。
その積み重ねの先に、風景は立ち上がってくるのかもしれない。
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