November 10, 2025

山本 貴仁さん
愛媛県西条市を拠点に活動する自然活動家。
NPO法人 西条自然学校 代表。
林業・環境教育・生態系調査を軸に、石鎚山系の森や水と向き合い続けている。
拠点:愛媛県西条市
関連リンク:西条自然学校 公式サイト
ーーーーーーーーーー
石鎚山系の山と、名水が湧き続けるまち・西条。
この土地で長年、森と人との関係に向き合ってきたのが、西条自然学校の山本貴仁さんだ。
学芸員として自然を「調べる」立場から出発し、いまは林業や環境教育の現場で、自然と人が共に生きるための選択を積み重ねている。
今回のインタビューでは、「森をどう守るか」や「水をどう残すか」という答えではなく、なぜその判断を選んできたのかを手がかりに、山本さんがこの地域で続けてきた思考の軌跡をたどった。
ーーーーーーーーーー
「物心ついた頃から、生き物が好きだったんです」
山本さんはそう振り返る。
誰かの影響を受けたわけでも、特別な体験があったわけでもない。ただ、気づいたときには、生き物に強く惹かれていた。
やがて「好き」は「守りたい」に変わっていく。
10代前半には、生き物を守るにはどんな仕事があるのかを考え始め、博物館で学び、学芸員という道を選んだ。
「博物館で働けば、自然に関わる仕事ができると思ったんです」
実際、その夢は叶った。
学芸員として、調べ、記録し、展示し、伝える。自然と向き合う日々は充実していた。
しかし、次第に違和感が生まれる。

学芸員の仕事は、自然を調査し、記録し、報告することだ。
それ自体は重要だが、山本さんには足りないものがあった。
「報告書を書いても、ほとんど読まれない。
これで、本当に自然は守れるのだろうか」
調べることと、守ることは、同じではない。
知識があっても、人の行動が変わらなければ、自然は変わらない。
「もっと直接、人に伝える方法はないのか」
そう考えたときに辿り着いたのが、「自然学校」というスタイルだった。
山本さんは学芸員を辞め、現場に出る決断をする。
拠点となったのは「ふれあいの里」。自然体験を軸にした施設の運営だった。
ただし、それは理想だけで進められる仕事ではない。
「めちゃくちゃ悩みました」
安定した職を離れ、地域に入り、施設を運営する。
しかも、そこにいたのは自分よりずっと年上の地元の人たちだった。
「地元対応が、仕事の7割。
何を言われるか分からない毎日でした」
価値観も、スピードも、常識も違う。
自然を伝えたいという思いとは、あまりにも遠いところに、最初の課題はあった。

「正直、しんどかったですね」
地域に入って学んだのは、多様性の“現実”だった。
今で言う多様性とは違う、昭和・大正から続く価値観の中での共同生活。
そこで山本さんが掴んだ一つの答えがある。
「早めに相談する、です」
やってから報告するのではなく、
「こんなことをやりたいんだけど」と、事前に伝える。
理解されなくてもいい。
重要なのは、「聞いたか、聞いていないか」。
「何をしているか分からない、という状態が、一番のストレスなんです」
これは、地域に限らず、人と人が関わるあらゆる場面に通じる話だ。
山本さんは早い段階から「観光」にも注目していた。
きっかけは、アフリカのサファリツアーだった。
かつて、狩猟によって動物は減り続けた。
そこで生まれたのが、「見る」ことで価値を生むサファリという仕組み。
「動物がいないと、観光は成り立たない。
だから、守る理由が生まれる」
ガイドがいて、体験があり、そこにお金が落ちる。
結果として、自然が守られる。
「日本でも、同じことができるんじゃないか」
西条の山、川、生き物。
ガイドがいなければ見えない価値が、確かにそこにあった。

転機は、川の変化だった。
「昔より、明らかに水が減っていた」
原因を調べる中で辿り着いたのが、杉・ヒノキの問題だった。
植えすぎた人工林が、水を過剰に吸い上げている。
「衝撃でした。森林を学んできたのに、そこを深く考えていなかった」
生き物がいなくなる。
川の水が減る。
すべては、森の状態とつながっていた。
山本さんは、実験を始めた。
杉・ヒノキを伐ったあと、あえて植えず、自然に任せる。
結果は明確だった。
「ちゃんと、自然は戻る」
日本は温帯で、降水量も安定している。
人が手を出しすぎなければ、森は自ら再生する。
「人が増えるほど、人工林になる。
それは、自然ではない」
守るために、何でもやればいいわけではない。
「やりすぎない」という判断こそが、最も難しい。

山本さんの活動の根底には、強い感情がある。
「怒りですね」
美しい日本の自然を、便利さやお金のために壊していくことへの怒り。
「自然を改変すること自体が悪いわけじゃない。
でも、やりすぎはいけない」
この感覚は、子どもの頃から変わっていない。
「自然を守るために生きる。
それだけは、ずっとブレていない」
今、山本さんは「切る」フェーズにいる。
体力の続く限り、自ら山に入り、手を動かす。
その先には、「育てる」フェーズがある。
「自分が動けなくなっても、続けてくれる人を育てないといけない」
調べる。
伝える。
守る。
そのすべてを行き来しながら、時代に合わせて手段を変えてきた。
「やるべきことは同じ。
その時代に合った方法を選ぶだけです」
自然と人の関係は、単純ではない。
だからこそ、考え続け、手を動かし続ける。
やりすぎず、放置せず。
その“ちょうどいい境界線”を探る営みは、今も続いている。


November 10, 2025

山本 貴仁さん
愛媛県西条市を拠点に活動する自然活動家。
NPO法人 西条自然学校 代表。
林業・環境教育・生態系調査を軸に、石鎚山系の森や水と向き合い続けている。
拠点:愛媛県西条市
関連リンク:西条自然学校 公式サイト
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石鎚山系の山と、名水が湧き続けるまち・西条。
この土地で長年、森と人との関係に向き合ってきたのが、西条自然学校の山本貴仁さんだ。
学芸員として自然を「調べる」立場から出発し、いまは林業や環境教育の現場で、自然と人が共に生きるための選択を積み重ねている。
今回のインタビューでは、「森をどう守るか」や「水をどう残すか」という答えではなく、なぜその判断を選んできたのかを手がかりに、山本さんがこの地域で続けてきた思考の軌跡をたどった。
ーーーーーーーーーー
「物心ついた頃から、生き物が好きだったんです」
山本さんはそう振り返る。
誰かの影響を受けたわけでも、特別な体験があったわけでもない。ただ、気づいたときには、生き物に強く惹かれていた。
やがて「好き」は「守りたい」に変わっていく。
10代前半には、生き物を守るにはどんな仕事があるのかを考え始め、博物館で学び、学芸員という道を選んだ。
「博物館で働けば、自然に関わる仕事ができると思ったんです」
実際、その夢は叶った。
学芸員として、調べ、記録し、展示し、伝える。自然と向き合う日々は充実していた。
しかし、次第に違和感が生まれる。

学芸員の仕事は、自然を調査し、記録し、報告することだ。
それ自体は重要だが、山本さんには足りないものがあった。
「報告書を書いても、ほとんど読まれない。
これで、本当に自然は守れるのだろうか」
調べることと、守ることは、同じではない。
知識があっても、人の行動が変わらなければ、自然は変わらない。
「もっと直接、人に伝える方法はないのか」
そう考えたときに辿り着いたのが、「自然学校」というスタイルだった。
山本さんは学芸員を辞め、現場に出る決断をする。
拠点となったのは「ふれあいの里」。自然体験を軸にした施設の運営だった。
ただし、それは理想だけで進められる仕事ではない。
「めちゃくちゃ悩みました」
安定した職を離れ、地域に入り、施設を運営する。
しかも、そこにいたのは自分よりずっと年上の地元の人たちだった。
「地元対応が、仕事の7割。
何を言われるか分からない毎日でした」
価値観も、スピードも、常識も違う。
自然を伝えたいという思いとは、あまりにも遠いところに、最初の課題はあった。

「正直、しんどかったですね」
地域に入って学んだのは、多様性の“現実”だった。
今で言う多様性とは違う、昭和・大正から続く価値観の中での共同生活。
そこで山本さんが掴んだ一つの答えがある。
「早めに相談する、です」
やってから報告するのではなく、
「こんなことをやりたいんだけど」と、事前に伝える。
理解されなくてもいい。
重要なのは、「聞いたか、聞いていないか」。
「何をしているか分からない、という状態が、一番のストレスなんです」
これは、地域に限らず、人と人が関わるあらゆる場面に通じる話だ。
山本さんは早い段階から「観光」にも注目していた。
きっかけは、アフリカのサファリツアーだった。
かつて、狩猟によって動物は減り続けた。
そこで生まれたのが、「見る」ことで価値を生むサファリという仕組み。
「動物がいないと、観光は成り立たない。
だから、守る理由が生まれる」
ガイドがいて、体験があり、そこにお金が落ちる。
結果として、自然が守られる。
「日本でも、同じことができるんじゃないか」
西条の山、川、生き物。
ガイドがいなければ見えない価値が、確かにそこにあった。

転機は、川の変化だった。
「昔より、明らかに水が減っていた」
原因を調べる中で辿り着いたのが、杉・ヒノキの問題だった。
植えすぎた人工林が、水を過剰に吸い上げている。
「衝撃でした。森林を学んできたのに、そこを深く考えていなかった」
生き物がいなくなる。
川の水が減る。
すべては、森の状態とつながっていた。
山本さんは、実験を始めた。
杉・ヒノキを伐ったあと、あえて植えず、自然に任せる。
結果は明確だった。
「ちゃんと、自然は戻る」
日本は温帯で、降水量も安定している。
人が手を出しすぎなければ、森は自ら再生する。
「人が増えるほど、人工林になる。
それは、自然ではない」
守るために、何でもやればいいわけではない。
「やりすぎない」という判断こそが、最も難しい。

山本さんの活動の根底には、強い感情がある。
「怒りですね」
美しい日本の自然を、便利さやお金のために壊していくことへの怒り。
「自然を改変すること自体が悪いわけじゃない。
でも、やりすぎはいけない」
この感覚は、子どもの頃から変わっていない。
「自然を守るために生きる。
それだけは、ずっとブレていない」
今、山本さんは「切る」フェーズにいる。
体力の続く限り、自ら山に入り、手を動かす。
その先には、「育てる」フェーズがある。
「自分が動けなくなっても、続けてくれる人を育てないといけない」
調べる。
伝える。
守る。
そのすべてを行き来しながら、時代に合わせて手段を変えてきた。
「やるべきことは同じ。
その時代に合った方法を選ぶだけです」
自然と人の関係は、単純ではない。
だからこそ、考え続け、手を動かし続ける。
やりすぎず、放置せず。
その“ちょうどいい境界線”を探る営みは、今も続いている。


November 10, 2025

山本 貴仁さん
愛媛県西条市を拠点に活動する自然活動家。
NPO法人 西条自然学校 代表。
林業・環境教育・生態系調査を軸に、石鎚山系の森や水と向き合い続けている。
拠点:愛媛県西条市
関連リンク:西条自然学校 公式サイト
ーーーーーーーーーー
石鎚山系の山と、名水が湧き続けるまち・西条。
この土地で長年、森と人との関係に向き合ってきたのが、西条自然学校の山本貴仁さんだ。
学芸員として自然を「調べる」立場から出発し、いまは林業や環境教育の現場で、自然と人が共に生きるための選択を積み重ねている。
今回のインタビューでは、「森をどう守るか」や「水をどう残すか」という答えではなく、なぜその判断を選んできたのかを手がかりに、山本さんがこの地域で続けてきた思考の軌跡をたどった。
ーーーーーーーーーー
「物心ついた頃から、生き物が好きだったんです」
山本さんはそう振り返る。
誰かの影響を受けたわけでも、特別な体験があったわけでもない。ただ、気づいたときには、生き物に強く惹かれていた。
やがて「好き」は「守りたい」に変わっていく。
10代前半には、生き物を守るにはどんな仕事があるのかを考え始め、博物館で学び、学芸員という道を選んだ。
「博物館で働けば、自然に関わる仕事ができると思ったんです」
実際、その夢は叶った。
学芸員として、調べ、記録し、展示し、伝える。自然と向き合う日々は充実していた。
しかし、次第に違和感が生まれる。

学芸員の仕事は、自然を調査し、記録し、報告することだ。
それ自体は重要だが、山本さんには足りないものがあった。
「報告書を書いても、ほとんど読まれない。
これで、本当に自然は守れるのだろうか」
調べることと、守ることは、同じではない。
知識があっても、人の行動が変わらなければ、自然は変わらない。
「もっと直接、人に伝える方法はないのか」
そう考えたときに辿り着いたのが、「自然学校」というスタイルだった。
山本さんは学芸員を辞め、現場に出る決断をする。
拠点となったのは「ふれあいの里」。自然体験を軸にした施設の運営だった。
ただし、それは理想だけで進められる仕事ではない。
「めちゃくちゃ悩みました」
安定した職を離れ、地域に入り、施設を運営する。
しかも、そこにいたのは自分よりずっと年上の地元の人たちだった。
「地元対応が、仕事の7割。
何を言われるか分からない毎日でした」
価値観も、スピードも、常識も違う。
自然を伝えたいという思いとは、あまりにも遠いところに、最初の課題はあった。

「正直、しんどかったですね」
地域に入って学んだのは、多様性の“現実”だった。
今で言う多様性とは違う、昭和・大正から続く価値観の中での共同生活。
そこで山本さんが掴んだ一つの答えがある。
「早めに相談する、です」
やってから報告するのではなく、
「こんなことをやりたいんだけど」と、事前に伝える。
理解されなくてもいい。
重要なのは、「聞いたか、聞いていないか」。
「何をしているか分からない、という状態が、一番のストレスなんです」
これは、地域に限らず、人と人が関わるあらゆる場面に通じる話だ。
山本さんは早い段階から「観光」にも注目していた。
きっかけは、アフリカのサファリツアーだった。
かつて、狩猟によって動物は減り続けた。
そこで生まれたのが、「見る」ことで価値を生むサファリという仕組み。
「動物がいないと、観光は成り立たない。
だから、守る理由が生まれる」
ガイドがいて、体験があり、そこにお金が落ちる。
結果として、自然が守られる。
「日本でも、同じことができるんじゃないか」
西条の山、川、生き物。
ガイドがいなければ見えない価値が、確かにそこにあった。

転機は、川の変化だった。
「昔より、明らかに水が減っていた」
原因を調べる中で辿り着いたのが、杉・ヒノキの問題だった。
植えすぎた人工林が、水を過剰に吸い上げている。
「衝撃でした。森林を学んできたのに、そこを深く考えていなかった」
生き物がいなくなる。
川の水が減る。
すべては、森の状態とつながっていた。
山本さんは、実験を始めた。
杉・ヒノキを伐ったあと、あえて植えず、自然に任せる。
結果は明確だった。
「ちゃんと、自然は戻る」
日本は温帯で、降水量も安定している。
人が手を出しすぎなければ、森は自ら再生する。
「人が増えるほど、人工林になる。
それは、自然ではない」
守るために、何でもやればいいわけではない。
「やりすぎない」という判断こそが、最も難しい。

山本さんの活動の根底には、強い感情がある。
「怒りですね」
美しい日本の自然を、便利さやお金のために壊していくことへの怒り。
「自然を改変すること自体が悪いわけじゃない。
でも、やりすぎはいけない」
この感覚は、子どもの頃から変わっていない。
「自然を守るために生きる。
それだけは、ずっとブレていない」
今、山本さんは「切る」フェーズにいる。
体力の続く限り、自ら山に入り、手を動かす。
その先には、「育てる」フェーズがある。
「自分が動けなくなっても、続けてくれる人を育てないといけない」
調べる。
伝える。
守る。
そのすべてを行き来しながら、時代に合わせて手段を変えてきた。
「やるべきことは同じ。
その時代に合った方法を選ぶだけです」
自然と人の関係は、単純ではない。
だからこそ、考え続け、手を動かし続ける。
やりすぎず、放置せず。
その“ちょうどいい境界線”を探る営みは、今も続いている。

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