おいしさの先に山が見える

August 14, 2026

西村 裕子さん

ジビエ専門店Magokoro代表・猟師。
西条市を拠点に、有害駆除で捕獲された鹿や猪の解体処理、精肉加工、販売を行う。
自らも猟師として山に入り、捕獲から処理、加工、販売までを一貫して手がける。
ジビエを「特別なもの」ではなく、安心しておいしく食べられる地域の食材として届けながら、山と農地、暮らしの関係を日々の仕事の中で見つめている。

拠点:愛媛県西条市
所属:ジビエ専門店Magokoro

関連リンク:Instagram公式アカウント

西条の山や農地で捕獲された鹿や猪を、食卓へ届けるジビエ専門店Magokoro。

西村さんは、その仕事をとても端的に説明する。

「有害駆除で獲る鹿や猪を、解体処理して、精肉処理して、販売するところです」

ただ、Magokoroは肉を受け入れて加工するだけの場所ではない。

西村さん自身も猟師として山に入り、罠をかけ、見回り、捕獲し、処理する。

捕るところから、食べる人の手元に届くところまで。

山の命を食卓へ受け渡す、その一連の流れの中にいる。

ジビエというと、鳥獣被害や命をいただくことの話として語られることが多い。

もちろん、それは欠かせない視点だ。

けれど西村さんの話を聞いていると、その入口はもっと素直で、もっと身体的だった。

おいしいから、もっと食べたい。

自分で獲れたら、丸ごと食べられる。

その好奇心から始まった猟師としての日々は、やがて山の変化や農家の声、地域の風景へとつながっていった。


入口は「おいしかった」だった

西村さんがジビエに興味を持ったきっかけは、家の前の河原での出来事だった。

子どもたちが小さかった頃、近所のおじいちゃんたちが河原でバーベキューをしていた。

そこでふるまわれたのが、猪の肉だった。

子どもたちがごちそうになったと聞いて、西村さんはお礼を言いに行った。

「お礼に行ったんですよね。あわよくば食べさせてほしいなと思って」

そう笑いながら話す。

その時に食べた猪が、とてもおいしかった。

その味が、ずっと頭に残っていたという。

やがて子どもたちが大きくなり、県外の大学へ進学すると、ふっと時間ができた。

その頃、西村さんはYouTubeで東北のマタギの動画を見るようになる。

山に入り、自分で獲り、解体し、食べる。

その姿に、強く惹かれた。

「自分で獲れば、全部食べられるじゃんと思って」

希少部位も、丸ごとの猪も、全部見てみたい。食べてみたい。

動画を見ているうちに、解体の手順も頭に入っていく。

あとは、自分でできるかどうか。

周りの農家や猟師に「連れて行ってほしい」と言い続けていると、ある日、猟友会の人から声がかかった。

鹿が獲れたから、見に来るか。

その日、西村さんは少しだけ解体を手伝い、分けてもらった肉を家で食べた。

それが、またおいしかった。

次第に連絡が来るようになり、「今日はこの部位がほしいです」とお願いしているうちに、猟師たちから言われた。

「そんなに好きなら、免許取って自分で獲らんけん」

できるかどうかはわからない。

でも、やってみてダメならやめたらいい。

そんな気持ちで、狩猟の世界に入った。

始まりは、社会課題ではなかった。

山を守りたいという大きな言葉でもなかった。

ただ、肉が食べたかった。

おいしいものを、自分の手で獲って、食べてみたかった。

その正直な入口が、西村さんを山へ連れていった。


Magokoroという名前

Magokoroという名前は、地域の農家からもらったものだ。

猟師になったばかりの頃、西村さんをとても大事にしてくれた農家があった。

冬でも毎日気にかけてくれ、「焼きたてを食べにおいで」と声をかけてくれた。

その農家は、柿やぶどうを育て、「まごころ堂」という名前で販売していた。

ある時、西村さんが自分で精肉した鹿肉を持っていくと、その人は驚いた。

普段から猪や鹿を食べている人だったにもかかわらず、「どうやったらこんなに匂いが消せるんだ」と言ってくれた。

そして、「いつか売ったらいい」と勧めてくれた。

Magokoroという名前は、そこから来ている。

「じゃあ、その名前くださいって」

地域の農家に支えられ、背中を押されて始まった名前。

Magokoroには、ジビエをきれいに処理して届けるという技術だけではなく、地域の人との関係も刻まれている。


猟師になって山が見えた

猟師になる前、西村さんは今の暮らしの場所をあまり好きではなかったという。

駅から遠い。

生活も少し不便。

山際に家を建てることに、最初は乗り気ではなかった。

けれど、猟師になってから見え方が変わった。

「猟師になって初めて、目の前が猟場やって気がついて。ここに住んどってよかった、ってなったんです」

山に入るようになると、ただの背景だった風景が変わっていく。

山はきれいだった。

けれど同時に、傷んできている部分も見えてきた。

人の手が入らず、荒れてきている場所。

餌が少なくなり、山から下りてくる鹿や猪。

農作物を食べた方が楽だから、畑へ出てくる動物たち。

猟師として山に入ることで、それまで見えていなかったものが見え始めた。

「それまでは、ただ肉が食べたいだけで獲りよったんです。獲らせてくれてありがとう、ぐらいやったんですけど」

けれど農家の人から、鳥獣被害の話を聞くようになる。

やさしい農家のおばあちゃんが、鹿や猪の話になると、普段とは違う強い言葉を口にすることがある。

その言葉を聞くのは、悲しい。

でも、それほどまでに農作物を荒らされることは、農家にとって切実なのだ。

「それも踏まえて、私らができることはしないかんなって」

食べたいから始まった狩猟は、少しずつ、地域の暮らしを守る仕事にもなっていった。


取ることと残すことの間で

西村さんは、ただ山の奥まで入って動物を獲ればいいとは考えていない。

「彼らが生活している部分まで深掘りして入っていって、獲る必要はないなと思っていて」

動物たちが暮らす場所は、大事にしてあげたい。

山に餌がある環境をつくることも必要だと思う。

そうすることで、農家の近くまで下りてこなくなる可能性もある。

けれど、それは一人でできることではない。

いま西村さんにできるのは、山際の農家や、まだきれいに残っている山の風景を見ながら、守れるところに手を添えることだ。

「自分らが住んでいる山際の農家さんとか、山の風景とかが、今すごくまだきれいな状態なんです。これを守っていってほしいなと思います。守れる前に、そのお手伝いができたらいいなとは思っています」

人間の生活圏と、動物の生活圏。

その境界は、少しずつ変わっている。

昔は、山際の家で風呂や台所の火を焚いていた。

火は、動物にとって怖いものだった。

それが、人間と動物の境界になっていたのではないか。

けれど今は、その火がない。

山際の家は空き家になり、動物にとって雨風をしのげる場所になっている。

農地だった場所が使われなくなり、動物がそこに住みつく。

餌が近く、身を隠す場所もある。

山に帰らなくても、生きていける。

「生き物が降りてくる行動範囲が、昔に比べたら広くなった気がします」

一方で、獲る人は減っている。

猟師の高齢化は進み、あと十年したら大きく減ってしまうのではないかという実感もある。

動物は近づき、猟師は減っていく。

農家の被害は増えていく。

けれど、農業に関わらない人の日常からは、その変化は見えにくい。

「自分に関わってなかったら、意識せんじゃないですか。私も猟師になるまで全く意識せんかった部分が、今は生活のすべてみたいになってる。こんなにも変わるものなのかっていうぐらい違うんです」

見えるようになることで、暮らしは変わる。

西村さんにとって狩猟は、山を見る目を持つことでもあった。


すべては おいしさのために

Magokoroで大切にしていることは何か。

そう聞くと、西村さんはまず「おいしいと思えるお肉であってほしい」と話した。

「最初に食べてもらうジビエが、おいしくあってほしいんです」

ジビエは、処理の仕方によって味や状態が大きく変わる。

スピードも大切だ。

一つひとつの工程を雑にしないことも大切だ。

けれど、おいしさへの工夫は処理場の中だけで始まるわけではない。

罠をかける場所から、すでに始まっている。

岩場が多いところで罠にかかると、動物が暴れた時に体を打ち、肉が傷んでしまう。

だから、できるだけ土の場所や、傾斜のきつすぎない場所を選ぶ。

銃で止める時も、撃つ場所によって使えなくなる部位が変わる。

どこでも撃てばいいわけではない。

「肉を獲るつもりで罠をかけとるんで」

捕獲も、解体も、精肉も、販売も。

そのすべてが、おいしさにつながっている。

「全体の作業全部ですね。すべては、おいしさのために」

それでも、個体によって状態は違う。

どれだけ気をつけても、食肉に向かない場合もある。

逆に、皮を剥いた瞬間に「これはいい」とわかる肉もある。

色がきれいで、触った感覚も違う。

「いい肉」を見つけた時、西村さんは周りのスタッフに触らせる。

「これがいいやつよ」と伝える。

経験の中でしかわからない感覚を、少しずつ受け渡していく。


食べやすい入口をつくる

ジビエを広げる上で、加工品の役割も大きい。

Magokoroでは、ウインナーなどの加工品も扱っている。

精肉だけでは届きにくい人にも、加工品なら届くことがある。

「ウインナーがある、加工品があるということで、お客さんの層は増えました」

焼くだけで食べられる。

湯がくだけでいい。

味が決まっていて、調理のハードルが低い。

初めてジビエに触れる人にとって、その気軽さは大きな入口になる。

一方で、精肉を買っても、どう調理すればいいかわからない人も多い。

西村さんは、最近、家庭で簡単にできるレシピを用意したいと考えている。

ローストやたたきのような、家でもできる調理。

低温調理器がなくても、フライパンや鍋ひとつでできるもの。

「いらんことを全くしないんで」

試食で出す料理も、あえて簡単なものにしている。

猪を焼く。

ウインナーを焼く。

味つけを濃くしすぎず、肉そのものの味がわかるようにする。

臭くない。

硬くない。

とっつきにくい肉ではない。

そう感じてもらうことが、次につながる。

命や山の話は大事だ。

けれど、その前に「おいしい」と思えること。

それが、ジビエへの一番自然な入口になる。


猟師の感覚を育てる

いま、Magokoroには西村さんだけでなく、若いスタッフも育ってきている。

一方で、西村さんは、狩猟の技術をすぐに機械へ置き換えることには慎重だ。

ドローンで動物の場所を確認する。

罠に発信機をつけ、反応があれば見に行く。

そうした技術はある。

実際に使ってみたこともある。

けれど、西村さんは今、あえてそれに頼りすぎないようにしている。

「毎日見なさいっていうのを大事にしたいんです」

罠を見に行く。

山を見る。

昨日と今日の変化を見る。

草の倒れ方。

動物の歩き方。

土の様子。

そこに毎日通うことでしか見えてこないものがある。

「動物が動いたら、必ず変化があるんですよ。それを気づいてもらうためには、やっぱり現地に毎日行くことが大事で」

効率だけを考えれば、機械に頼る方法もある。

けれど、それだけでは猟師としての感覚が育たない。

駆除する会社ではなく、猟師として山に入る。

その違いを、西村さんは大切にしている。

猟師の仕事は、獲ることだけではない。

毎日山を見て、変化を読み、動物の気配を感じる。

その感覚があって初めて、山との関係が生まれていく。


食べることで、つながりが見えてくる

狩猟と水の関係について聞くと、西村さんは少し考えた後で、こう話した。

「水がある豊かな山に、動物っておるじゃないですか」

水があるから、植物が育つ。

植物があるから、動物が生きる。

動物がいるから、猟師の仕事が成り立つ。

水と狩猟は、一見すると少し遠い。

けれど山の中では、ちゃんとつながっている。

ジビエは、そうしたつながりを食卓に運んでくる。

鹿や猪が増えること。

農地が荒らされること。

山際の暮らしが変わること。

猟師が減っていくこと。

山の手入れが届かなくなること。

それらは、山の中だけで完結している話ではない。

食べることを通して、その一部が暮らしの中に入ってくる。

西村さん自身も、猟師になるまでそのことを知らなかった。

同じ地域に住んでいても、山で何が起きているのかは見えていなかった。

でも、猟師になったことで、目が変わった。

「知識が増えたのもそうだし、そういう目になっていきよるんかなと思って」

山のことも、農家のことも、水のことも、食べもののことも。

それらは別々ではなく、つながっている。

ジビエは、そのつながりを見せてくれる入口でもある。


地域とつながる難しさ

Magokoroを始めてから、西村さんの周りには新しいつながりが増えてきた。

地域で活動する人。

キッチンカーをしている人。

農業や観光に関わる人。

WLPのようなプロジェクト。

「なんか、頑張っとる人によく会うご縁ができてきて。いろんな人たちと関われるようになりましたね。それは楽しいです」

新しいことは好きだし、広がっていくことも楽しい。

一方で、何でも観光や体験にすればいいわけではないとも感じている。

たとえば、狩猟や解体を体験ツアーのように見せること。

それが主になってしまうと、自分たちが大切にしていることとは少し違う気がする。

西村さんがつくりたいのは、猟師が怖い存在ではなく、農家や地域の人たちと自然に付き合っていける関係だ。

農家を守り、山際の風景を守り、獲った命をできるだけおいしく届ける。

その軸を変えないまま、どう外の人とつながるか。

「自分たちは何屋かって。何がしたくて始めたんやろって、原点に戻らないかんかなって思うぐらいの時があります」

広がることと、ぶれないこと。

その間で考え続けている。


いつかジビエを食べられる場所を

今後やってみたいことを聞くと、西村さんは「飲食店をつくりたい」と話した。

Magokoroに来る人から、「今、何が食べられるんですか」と聞かれることがある。

けれど、今はその場で食事を提供する場所ではない。

食べられるとしたら、試食くらいだ。

だからいつか、ジビエを食べられる場所をつくりたい。

ただし、いわゆるレストランとも少し違う。

外でバーベキューができてもいい。

焼くだけではなく、いろんな食べ方ができてもいい。

フレンチでも、イタリアンでも、和食でもいい。

ジビエにはこんな可能性があるのだと見せられる場所。

「食堂とか居酒屋になるんかな?」

そう言いながら笑う。

きっと、酒にも合う。

焼くだけでもおいしい。

少し手をかけてもおいしい。

ジビエを知らない人が、まず食べてみる場所。

おいしいと思って、次に買って帰る場所。

山の命が、もっと自然に食卓へ近づく場所。

それはまだ先の話かもしれない。

けれど、西村さんは口に出す。

「言ったら、そのうち叶うかなと思って」



ジビエは、生き方になった

最後に、西村さんにとってジビエとは何かを聞いた。

答えは、迷いがなかった。

「今はもう、人生ですよね。生き方。全部です」

毎日、罠を見に行く。

毎日、山を見る。

毎日、肉を切る。

それは仕事であり、暮らしであり、日々のリズムそのものになっている。

娘さんの結婚式で数日動けないため、罠にふたをした日があった。

たった数日、見回りに行かなくていいだけなのに、切なくなった。

朝、山に行かなくていいことが、面白くなかった。

日々のルーティーンをもがれたような感覚があった。

「狩猟がなくなったら、死んじゃうね」

そう冗談めかして言うけれど、その言葉には実感がある。

もし日本で狩猟ができなくなったら、狩猟できる世界に行くかもしれない。

山のない場所には、もう暮らせない。

かつては不便だと思っていた山際の暮らしを、今は心から好きだと思っている。

「今ここが好きなんで、ここから離れたくない」

食べたい。

おいしいと言ってもらいたい。

農家の力になりたい。

山の変化を見たい。

命を無駄にしたくない。

そのひとつひとつが重なって、西村さんの暮らしになっている。

ジビエは、特別な料理ではない。

山で生まれた命を、食べられるものとして受け取り、次の誰かへ渡していく営みだ。

おいしいと思うことから始まっていい。

食べたいという気持ちから、山に入ってもいい。

その先で、山の傷みが見え、農家の声が聞こえ、水や風景とのつながりが見えてくる。

西村さんの仕事は、命を重く語るだけではなく、まずおいしく、きれいに、安心して届けること。

そのおいしさの先に、山が見える。

食べることを通して、地域との関係が少しずつ見えてくる。

WATER LOOP PROJECT

おいしさの先に山が見える

August 14, 2026

西村 裕子さん

ジビエ専門店Magokoro代表・猟師。
西条市を拠点に、有害駆除で捕獲された鹿や猪の解体処理、精肉加工、販売を行う。
自らも猟師として山に入り、捕獲から処理、加工、販売までを一貫して手がける。
ジビエを「特別なもの」ではなく、安心しておいしく食べられる地域の食材として届けながら、山と農地、暮らしの関係を日々の仕事の中で見つめている。

拠点:愛媛県西条市
所属:ジビエ専門店Magokoro

関連リンク:Instagram公式アカウント

西条の山や農地で捕獲された鹿や猪を、食卓へ届けるジビエ専門店Magokoro。

西村さんは、その仕事をとても端的に説明する。

「有害駆除で獲る鹿や猪を、解体処理して、精肉処理して、販売するところです」

ただ、Magokoroは肉を受け入れて加工するだけの場所ではない。

西村さん自身も猟師として山に入り、罠をかけ、見回り、捕獲し、処理する。

捕るところから、食べる人の手元に届くところまで。

山の命を食卓へ受け渡す、その一連の流れの中にいる。

ジビエというと、鳥獣被害や命をいただくことの話として語られることが多い。

もちろん、それは欠かせない視点だ。

けれど西村さんの話を聞いていると、その入口はもっと素直で、もっと身体的だった。

おいしいから、もっと食べたい。

自分で獲れたら、丸ごと食べられる。

その好奇心から始まった猟師としての日々は、やがて山の変化や農家の声、地域の風景へとつながっていった。


入口は「おいしかった」だった

西村さんがジビエに興味を持ったきっかけは、家の前の河原での出来事だった。

子どもたちが小さかった頃、近所のおじいちゃんたちが河原でバーベキューをしていた。

そこでふるまわれたのが、猪の肉だった。

子どもたちがごちそうになったと聞いて、西村さんはお礼を言いに行った。

「お礼に行ったんですよね。あわよくば食べさせてほしいなと思って」

そう笑いながら話す。

その時に食べた猪が、とてもおいしかった。

その味が、ずっと頭に残っていたという。

やがて子どもたちが大きくなり、県外の大学へ進学すると、ふっと時間ができた。

その頃、西村さんはYouTubeで東北のマタギの動画を見るようになる。

山に入り、自分で獲り、解体し、食べる。

その姿に、強く惹かれた。

「自分で獲れば、全部食べられるじゃんと思って」

希少部位も、丸ごとの猪も、全部見てみたい。食べてみたい。

動画を見ているうちに、解体の手順も頭に入っていく。

あとは、自分でできるかどうか。

周りの農家や猟師に「連れて行ってほしい」と言い続けていると、ある日、猟友会の人から声がかかった。

鹿が獲れたから、見に来るか。

その日、西村さんは少しだけ解体を手伝い、分けてもらった肉を家で食べた。

それが、またおいしかった。

次第に連絡が来るようになり、「今日はこの部位がほしいです」とお願いしているうちに、猟師たちから言われた。

「そんなに好きなら、免許取って自分で獲らんけん」

できるかどうかはわからない。

でも、やってみてダメならやめたらいい。

そんな気持ちで、狩猟の世界に入った。

始まりは、社会課題ではなかった。

山を守りたいという大きな言葉でもなかった。

ただ、肉が食べたかった。

おいしいものを、自分の手で獲って、食べてみたかった。

その正直な入口が、西村さんを山へ連れていった。


Magokoroという名前

Magokoroという名前は、地域の農家からもらったものだ。

猟師になったばかりの頃、西村さんをとても大事にしてくれた農家があった。

冬でも毎日気にかけてくれ、「焼きたてを食べにおいで」と声をかけてくれた。

その農家は、柿やぶどうを育て、「まごころ堂」という名前で販売していた。

ある時、西村さんが自分で精肉した鹿肉を持っていくと、その人は驚いた。

普段から猪や鹿を食べている人だったにもかかわらず、「どうやったらこんなに匂いが消せるんだ」と言ってくれた。

そして、「いつか売ったらいい」と勧めてくれた。

Magokoroという名前は、そこから来ている。

「じゃあ、その名前くださいって」

地域の農家に支えられ、背中を押されて始まった名前。

Magokoroには、ジビエをきれいに処理して届けるという技術だけではなく、地域の人との関係も刻まれている。


猟師になって山が見えた

猟師になる前、西村さんは今の暮らしの場所をあまり好きではなかったという。

駅から遠い。

生活も少し不便。

山際に家を建てることに、最初は乗り気ではなかった。

けれど、猟師になってから見え方が変わった。

「猟師になって初めて、目の前が猟場やって気がついて。ここに住んどってよかった、ってなったんです」

山に入るようになると、ただの背景だった風景が変わっていく。

山はきれいだった。

けれど同時に、傷んできている部分も見えてきた。

人の手が入らず、荒れてきている場所。

餌が少なくなり、山から下りてくる鹿や猪。

農作物を食べた方が楽だから、畑へ出てくる動物たち。

猟師として山に入ることで、それまで見えていなかったものが見え始めた。

「それまでは、ただ肉が食べたいだけで獲りよったんです。獲らせてくれてありがとう、ぐらいやったんですけど」

けれど農家の人から、鳥獣被害の話を聞くようになる。

やさしい農家のおばあちゃんが、鹿や猪の話になると、普段とは違う強い言葉を口にすることがある。

その言葉を聞くのは、悲しい。

でも、それほどまでに農作物を荒らされることは、農家にとって切実なのだ。

「それも踏まえて、私らができることはしないかんなって」

食べたいから始まった狩猟は、少しずつ、地域の暮らしを守る仕事にもなっていった。


取ることと残すことの間で

西村さんは、ただ山の奥まで入って動物を獲ればいいとは考えていない。

「彼らが生活している部分まで深掘りして入っていって、獲る必要はないなと思っていて」

動物たちが暮らす場所は、大事にしてあげたい。

山に餌がある環境をつくることも必要だと思う。

そうすることで、農家の近くまで下りてこなくなる可能性もある。

けれど、それは一人でできることではない。

いま西村さんにできるのは、山際の農家や、まだきれいに残っている山の風景を見ながら、守れるところに手を添えることだ。

「自分らが住んでいる山際の農家さんとか、山の風景とかが、今すごくまだきれいな状態なんです。これを守っていってほしいなと思います。守れる前に、そのお手伝いができたらいいなとは思っています」

人間の生活圏と、動物の生活圏。

その境界は、少しずつ変わっている。

昔は、山際の家で風呂や台所の火を焚いていた。

火は、動物にとって怖いものだった。

それが、人間と動物の境界になっていたのではないか。

けれど今は、その火がない。

山際の家は空き家になり、動物にとって雨風をしのげる場所になっている。

農地だった場所が使われなくなり、動物がそこに住みつく。

餌が近く、身を隠す場所もある。

山に帰らなくても、生きていける。

「生き物が降りてくる行動範囲が、昔に比べたら広くなった気がします」

一方で、獲る人は減っている。

猟師の高齢化は進み、あと十年したら大きく減ってしまうのではないかという実感もある。

動物は近づき、猟師は減っていく。

農家の被害は増えていく。

けれど、農業に関わらない人の日常からは、その変化は見えにくい。

「自分に関わってなかったら、意識せんじゃないですか。私も猟師になるまで全く意識せんかった部分が、今は生活のすべてみたいになってる。こんなにも変わるものなのかっていうぐらい違うんです」

見えるようになることで、暮らしは変わる。

西村さんにとって狩猟は、山を見る目を持つことでもあった。


すべては おいしさのために

Magokoroで大切にしていることは何か。

そう聞くと、西村さんはまず「おいしいと思えるお肉であってほしい」と話した。

「最初に食べてもらうジビエが、おいしくあってほしいんです」

ジビエは、処理の仕方によって味や状態が大きく変わる。

スピードも大切だ。

一つひとつの工程を雑にしないことも大切だ。

けれど、おいしさへの工夫は処理場の中だけで始まるわけではない。

罠をかける場所から、すでに始まっている。

岩場が多いところで罠にかかると、動物が暴れた時に体を打ち、肉が傷んでしまう。

だから、できるだけ土の場所や、傾斜のきつすぎない場所を選ぶ。

銃で止める時も、撃つ場所によって使えなくなる部位が変わる。

どこでも撃てばいいわけではない。

「肉を獲るつもりで罠をかけとるんで」

捕獲も、解体も、精肉も、販売も。

そのすべてが、おいしさにつながっている。

「全体の作業全部ですね。すべては、おいしさのために」

それでも、個体によって状態は違う。

どれだけ気をつけても、食肉に向かない場合もある。

逆に、皮を剥いた瞬間に「これはいい」とわかる肉もある。

色がきれいで、触った感覚も違う。

「いい肉」を見つけた時、西村さんは周りのスタッフに触らせる。

「これがいいやつよ」と伝える。

経験の中でしかわからない感覚を、少しずつ受け渡していく。


食べやすい入口をつくる

ジビエを広げる上で、加工品の役割も大きい。

Magokoroでは、ウインナーなどの加工品も扱っている。

精肉だけでは届きにくい人にも、加工品なら届くことがある。

「ウインナーがある、加工品があるということで、お客さんの層は増えました」

焼くだけで食べられる。

湯がくだけでいい。

味が決まっていて、調理のハードルが低い。

初めてジビエに触れる人にとって、その気軽さは大きな入口になる。

一方で、精肉を買っても、どう調理すればいいかわからない人も多い。

西村さんは、最近、家庭で簡単にできるレシピを用意したいと考えている。

ローストやたたきのような、家でもできる調理。

低温調理器がなくても、フライパンや鍋ひとつでできるもの。

「いらんことを全くしないんで」

試食で出す料理も、あえて簡単なものにしている。

猪を焼く。

ウインナーを焼く。

味つけを濃くしすぎず、肉そのものの味がわかるようにする。

臭くない。

硬くない。

とっつきにくい肉ではない。

そう感じてもらうことが、次につながる。

命や山の話は大事だ。

けれど、その前に「おいしい」と思えること。

それが、ジビエへの一番自然な入口になる。


猟師の感覚を育てる

いま、Magokoroには西村さんだけでなく、若いスタッフも育ってきている。

一方で、西村さんは、狩猟の技術をすぐに機械へ置き換えることには慎重だ。

ドローンで動物の場所を確認する。

罠に発信機をつけ、反応があれば見に行く。

そうした技術はある。

実際に使ってみたこともある。

けれど、西村さんは今、あえてそれに頼りすぎないようにしている。

「毎日見なさいっていうのを大事にしたいんです」

罠を見に行く。

山を見る。

昨日と今日の変化を見る。

草の倒れ方。

動物の歩き方。

土の様子。

そこに毎日通うことでしか見えてこないものがある。

「動物が動いたら、必ず変化があるんですよ。それを気づいてもらうためには、やっぱり現地に毎日行くことが大事で」

効率だけを考えれば、機械に頼る方法もある。

けれど、それだけでは猟師としての感覚が育たない。

駆除する会社ではなく、猟師として山に入る。

その違いを、西村さんは大切にしている。

猟師の仕事は、獲ることだけではない。

毎日山を見て、変化を読み、動物の気配を感じる。

その感覚があって初めて、山との関係が生まれていく。


食べることで、つながりが見えてくる

狩猟と水の関係について聞くと、西村さんは少し考えた後で、こう話した。

「水がある豊かな山に、動物っておるじゃないですか」

水があるから、植物が育つ。

植物があるから、動物が生きる。

動物がいるから、猟師の仕事が成り立つ。

水と狩猟は、一見すると少し遠い。

けれど山の中では、ちゃんとつながっている。

ジビエは、そうしたつながりを食卓に運んでくる。

鹿や猪が増えること。

農地が荒らされること。

山際の暮らしが変わること。

猟師が減っていくこと。

山の手入れが届かなくなること。

それらは、山の中だけで完結している話ではない。

食べることを通して、その一部が暮らしの中に入ってくる。

西村さん自身も、猟師になるまでそのことを知らなかった。

同じ地域に住んでいても、山で何が起きているのかは見えていなかった。

でも、猟師になったことで、目が変わった。

「知識が増えたのもそうだし、そういう目になっていきよるんかなと思って」

山のことも、農家のことも、水のことも、食べもののことも。

それらは別々ではなく、つながっている。

ジビエは、そのつながりを見せてくれる入口でもある。


地域とつながる難しさ

Magokoroを始めてから、西村さんの周りには新しいつながりが増えてきた。

地域で活動する人。

キッチンカーをしている人。

農業や観光に関わる人。

WLPのようなプロジェクト。

「なんか、頑張っとる人によく会うご縁ができてきて。いろんな人たちと関われるようになりましたね。それは楽しいです」

新しいことは好きだし、広がっていくことも楽しい。

一方で、何でも観光や体験にすればいいわけではないとも感じている。

たとえば、狩猟や解体を体験ツアーのように見せること。

それが主になってしまうと、自分たちが大切にしていることとは少し違う気がする。

西村さんがつくりたいのは、猟師が怖い存在ではなく、農家や地域の人たちと自然に付き合っていける関係だ。

農家を守り、山際の風景を守り、獲った命をできるだけおいしく届ける。

その軸を変えないまま、どう外の人とつながるか。

「自分たちは何屋かって。何がしたくて始めたんやろって、原点に戻らないかんかなって思うぐらいの時があります」

広がることと、ぶれないこと。

その間で考え続けている。


いつかジビエを食べられる場所を

今後やってみたいことを聞くと、西村さんは「飲食店をつくりたい」と話した。

Magokoroに来る人から、「今、何が食べられるんですか」と聞かれることがある。

けれど、今はその場で食事を提供する場所ではない。

食べられるとしたら、試食くらいだ。

だからいつか、ジビエを食べられる場所をつくりたい。

ただし、いわゆるレストランとも少し違う。

外でバーベキューができてもいい。

焼くだけではなく、いろんな食べ方ができてもいい。

フレンチでも、イタリアンでも、和食でもいい。

ジビエにはこんな可能性があるのだと見せられる場所。

「食堂とか居酒屋になるんかな?」

そう言いながら笑う。

きっと、酒にも合う。

焼くだけでもおいしい。

少し手をかけてもおいしい。

ジビエを知らない人が、まず食べてみる場所。

おいしいと思って、次に買って帰る場所。

山の命が、もっと自然に食卓へ近づく場所。

それはまだ先の話かもしれない。

けれど、西村さんは口に出す。

「言ったら、そのうち叶うかなと思って」



ジビエは、生き方になった

最後に、西村さんにとってジビエとは何かを聞いた。

答えは、迷いがなかった。

「今はもう、人生ですよね。生き方。全部です」

毎日、罠を見に行く。

毎日、山を見る。

毎日、肉を切る。

それは仕事であり、暮らしであり、日々のリズムそのものになっている。

娘さんの結婚式で数日動けないため、罠にふたをした日があった。

たった数日、見回りに行かなくていいだけなのに、切なくなった。

朝、山に行かなくていいことが、面白くなかった。

日々のルーティーンをもがれたような感覚があった。

「狩猟がなくなったら、死んじゃうね」

そう冗談めかして言うけれど、その言葉には実感がある。

もし日本で狩猟ができなくなったら、狩猟できる世界に行くかもしれない。

山のない場所には、もう暮らせない。

かつては不便だと思っていた山際の暮らしを、今は心から好きだと思っている。

「今ここが好きなんで、ここから離れたくない」

食べたい。

おいしいと言ってもらいたい。

農家の力になりたい。

山の変化を見たい。

命を無駄にしたくない。

そのひとつひとつが重なって、西村さんの暮らしになっている。

ジビエは、特別な料理ではない。

山で生まれた命を、食べられるものとして受け取り、次の誰かへ渡していく営みだ。

おいしいと思うことから始まっていい。

食べたいという気持ちから、山に入ってもいい。

その先で、山の傷みが見え、農家の声が聞こえ、水や風景とのつながりが見えてくる。

西村さんの仕事は、命を重く語るだけではなく、まずおいしく、きれいに、安心して届けること。

そのおいしさの先に、山が見える。

食べることを通して、地域との関係が少しずつ見えてくる。

WATER LOOP PROJECT

おいしさの先に山が見える

August 14, 2026

西村 裕子さん

ジビエ専門店Magokoro代表・猟師。
西条市を拠点に、有害駆除で捕獲された鹿や猪の解体処理、精肉加工、販売を行う。
自らも猟師として山に入り、捕獲から処理、加工、販売までを一貫して手がける。
ジビエを「特別なもの」ではなく、安心しておいしく食べられる地域の食材として届けながら、山と農地、暮らしの関係を日々の仕事の中で見つめている。

拠点:愛媛県西条市
所属:ジビエ専門店Magokoro

関連リンク:Instagram公式アカウント

西条の山や農地で捕獲された鹿や猪を、食卓へ届けるジビエ専門店Magokoro。

西村さんは、その仕事をとても端的に説明する。

「有害駆除で獲る鹿や猪を、解体処理して、精肉処理して、販売するところです」

ただ、Magokoroは肉を受け入れて加工するだけの場所ではない。

西村さん自身も猟師として山に入り、罠をかけ、見回り、捕獲し、処理する。

捕るところから、食べる人の手元に届くところまで。

山の命を食卓へ受け渡す、その一連の流れの中にいる。

ジビエというと、鳥獣被害や命をいただくことの話として語られることが多い。

もちろん、それは欠かせない視点だ。

けれど西村さんの話を聞いていると、その入口はもっと素直で、もっと身体的だった。

おいしいから、もっと食べたい。

自分で獲れたら、丸ごと食べられる。

その好奇心から始まった猟師としての日々は、やがて山の変化や農家の声、地域の風景へとつながっていった。


入口は「おいしかった」だった

西村さんがジビエに興味を持ったきっかけは、家の前の河原での出来事だった。

子どもたちが小さかった頃、近所のおじいちゃんたちが河原でバーベキューをしていた。

そこでふるまわれたのが、猪の肉だった。

子どもたちがごちそうになったと聞いて、西村さんはお礼を言いに行った。

「お礼に行ったんですよね。あわよくば食べさせてほしいなと思って」

そう笑いながら話す。

その時に食べた猪が、とてもおいしかった。

その味が、ずっと頭に残っていたという。

やがて子どもたちが大きくなり、県外の大学へ進学すると、ふっと時間ができた。

その頃、西村さんはYouTubeで東北のマタギの動画を見るようになる。

山に入り、自分で獲り、解体し、食べる。

その姿に、強く惹かれた。

「自分で獲れば、全部食べられるじゃんと思って」

希少部位も、丸ごとの猪も、全部見てみたい。食べてみたい。

動画を見ているうちに、解体の手順も頭に入っていく。

あとは、自分でできるかどうか。

周りの農家や猟師に「連れて行ってほしい」と言い続けていると、ある日、猟友会の人から声がかかった。

鹿が獲れたから、見に来るか。

その日、西村さんは少しだけ解体を手伝い、分けてもらった肉を家で食べた。

それが、またおいしかった。

次第に連絡が来るようになり、「今日はこの部位がほしいです」とお願いしているうちに、猟師たちから言われた。

「そんなに好きなら、免許取って自分で獲らんけん」

できるかどうかはわからない。

でも、やってみてダメならやめたらいい。

そんな気持ちで、狩猟の世界に入った。

始まりは、社会課題ではなかった。

山を守りたいという大きな言葉でもなかった。

ただ、肉が食べたかった。

おいしいものを、自分の手で獲って、食べてみたかった。

その正直な入口が、西村さんを山へ連れていった。


Magokoroという名前

Magokoroという名前は、地域の農家からもらったものだ。

猟師になったばかりの頃、西村さんをとても大事にしてくれた農家があった。

冬でも毎日気にかけてくれ、「焼きたてを食べにおいで」と声をかけてくれた。

その農家は、柿やぶどうを育て、「まごころ堂」という名前で販売していた。

ある時、西村さんが自分で精肉した鹿肉を持っていくと、その人は驚いた。

普段から猪や鹿を食べている人だったにもかかわらず、「どうやったらこんなに匂いが消せるんだ」と言ってくれた。

そして、「いつか売ったらいい」と勧めてくれた。

Magokoroという名前は、そこから来ている。

「じゃあ、その名前くださいって」

地域の農家に支えられ、背中を押されて始まった名前。

Magokoroには、ジビエをきれいに処理して届けるという技術だけではなく、地域の人との関係も刻まれている。


猟師になって山が見えた

猟師になる前、西村さんは今の暮らしの場所をあまり好きではなかったという。

駅から遠い。

生活も少し不便。

山際に家を建てることに、最初は乗り気ではなかった。

けれど、猟師になってから見え方が変わった。

「猟師になって初めて、目の前が猟場やって気がついて。ここに住んどってよかった、ってなったんです」

山に入るようになると、ただの背景だった風景が変わっていく。

山はきれいだった。

けれど同時に、傷んできている部分も見えてきた。

人の手が入らず、荒れてきている場所。

餌が少なくなり、山から下りてくる鹿や猪。

農作物を食べた方が楽だから、畑へ出てくる動物たち。

猟師として山に入ることで、それまで見えていなかったものが見え始めた。

「それまでは、ただ肉が食べたいだけで獲りよったんです。獲らせてくれてありがとう、ぐらいやったんですけど」

けれど農家の人から、鳥獣被害の話を聞くようになる。

やさしい農家のおばあちゃんが、鹿や猪の話になると、普段とは違う強い言葉を口にすることがある。

その言葉を聞くのは、悲しい。

でも、それほどまでに農作物を荒らされることは、農家にとって切実なのだ。

「それも踏まえて、私らができることはしないかんなって」

食べたいから始まった狩猟は、少しずつ、地域の暮らしを守る仕事にもなっていった。


取ることと残すことの間で

西村さんは、ただ山の奥まで入って動物を獲ればいいとは考えていない。

「彼らが生活している部分まで深掘りして入っていって、獲る必要はないなと思っていて」

動物たちが暮らす場所は、大事にしてあげたい。

山に餌がある環境をつくることも必要だと思う。

そうすることで、農家の近くまで下りてこなくなる可能性もある。

けれど、それは一人でできることではない。

いま西村さんにできるのは、山際の農家や、まだきれいに残っている山の風景を見ながら、守れるところに手を添えることだ。

「自分らが住んでいる山際の農家さんとか、山の風景とかが、今すごくまだきれいな状態なんです。これを守っていってほしいなと思います。守れる前に、そのお手伝いができたらいいなとは思っています」

人間の生活圏と、動物の生活圏。

その境界は、少しずつ変わっている。

昔は、山際の家で風呂や台所の火を焚いていた。

火は、動物にとって怖いものだった。

それが、人間と動物の境界になっていたのではないか。

けれど今は、その火がない。

山際の家は空き家になり、動物にとって雨風をしのげる場所になっている。

農地だった場所が使われなくなり、動物がそこに住みつく。

餌が近く、身を隠す場所もある。

山に帰らなくても、生きていける。

「生き物が降りてくる行動範囲が、昔に比べたら広くなった気がします」

一方で、獲る人は減っている。

猟師の高齢化は進み、あと十年したら大きく減ってしまうのではないかという実感もある。

動物は近づき、猟師は減っていく。

農家の被害は増えていく。

けれど、農業に関わらない人の日常からは、その変化は見えにくい。

「自分に関わってなかったら、意識せんじゃないですか。私も猟師になるまで全く意識せんかった部分が、今は生活のすべてみたいになってる。こんなにも変わるものなのかっていうぐらい違うんです」

見えるようになることで、暮らしは変わる。

西村さんにとって狩猟は、山を見る目を持つことでもあった。


すべては おいしさのために

Magokoroで大切にしていることは何か。

そう聞くと、西村さんはまず「おいしいと思えるお肉であってほしい」と話した。

「最初に食べてもらうジビエが、おいしくあってほしいんです」

ジビエは、処理の仕方によって味や状態が大きく変わる。

スピードも大切だ。

一つひとつの工程を雑にしないことも大切だ。

けれど、おいしさへの工夫は処理場の中だけで始まるわけではない。

罠をかける場所から、すでに始まっている。

岩場が多いところで罠にかかると、動物が暴れた時に体を打ち、肉が傷んでしまう。

だから、できるだけ土の場所や、傾斜のきつすぎない場所を選ぶ。

銃で止める時も、撃つ場所によって使えなくなる部位が変わる。

どこでも撃てばいいわけではない。

「肉を獲るつもりで罠をかけとるんで」

捕獲も、解体も、精肉も、販売も。

そのすべてが、おいしさにつながっている。

「全体の作業全部ですね。すべては、おいしさのために」

それでも、個体によって状態は違う。

どれだけ気をつけても、食肉に向かない場合もある。

逆に、皮を剥いた瞬間に「これはいい」とわかる肉もある。

色がきれいで、触った感覚も違う。

「いい肉」を見つけた時、西村さんは周りのスタッフに触らせる。

「これがいいやつよ」と伝える。

経験の中でしかわからない感覚を、少しずつ受け渡していく。


食べやすい入口をつくる

ジビエを広げる上で、加工品の役割も大きい。

Magokoroでは、ウインナーなどの加工品も扱っている。

精肉だけでは届きにくい人にも、加工品なら届くことがある。

「ウインナーがある、加工品があるということで、お客さんの層は増えました」

焼くだけで食べられる。

湯がくだけでいい。

味が決まっていて、調理のハードルが低い。

初めてジビエに触れる人にとって、その気軽さは大きな入口になる。

一方で、精肉を買っても、どう調理すればいいかわからない人も多い。

西村さんは、最近、家庭で簡単にできるレシピを用意したいと考えている。

ローストやたたきのような、家でもできる調理。

低温調理器がなくても、フライパンや鍋ひとつでできるもの。

「いらんことを全くしないんで」

試食で出す料理も、あえて簡単なものにしている。

猪を焼く。

ウインナーを焼く。

味つけを濃くしすぎず、肉そのものの味がわかるようにする。

臭くない。

硬くない。

とっつきにくい肉ではない。

そう感じてもらうことが、次につながる。

命や山の話は大事だ。

けれど、その前に「おいしい」と思えること。

それが、ジビエへの一番自然な入口になる。


猟師の感覚を育てる

いま、Magokoroには西村さんだけでなく、若いスタッフも育ってきている。

一方で、西村さんは、狩猟の技術をすぐに機械へ置き換えることには慎重だ。

ドローンで動物の場所を確認する。

罠に発信機をつけ、反応があれば見に行く。

そうした技術はある。

実際に使ってみたこともある。

けれど、西村さんは今、あえてそれに頼りすぎないようにしている。

「毎日見なさいっていうのを大事にしたいんです」

罠を見に行く。

山を見る。

昨日と今日の変化を見る。

草の倒れ方。

動物の歩き方。

土の様子。

そこに毎日通うことでしか見えてこないものがある。

「動物が動いたら、必ず変化があるんですよ。それを気づいてもらうためには、やっぱり現地に毎日行くことが大事で」

効率だけを考えれば、機械に頼る方法もある。

けれど、それだけでは猟師としての感覚が育たない。

駆除する会社ではなく、猟師として山に入る。

その違いを、西村さんは大切にしている。

猟師の仕事は、獲ることだけではない。

毎日山を見て、変化を読み、動物の気配を感じる。

その感覚があって初めて、山との関係が生まれていく。


食べることで、つながりが見えてくる

狩猟と水の関係について聞くと、西村さんは少し考えた後で、こう話した。

「水がある豊かな山に、動物っておるじゃないですか」

水があるから、植物が育つ。

植物があるから、動物が生きる。

動物がいるから、猟師の仕事が成り立つ。

水と狩猟は、一見すると少し遠い。

けれど山の中では、ちゃんとつながっている。

ジビエは、そうしたつながりを食卓に運んでくる。

鹿や猪が増えること。

農地が荒らされること。

山際の暮らしが変わること。

猟師が減っていくこと。

山の手入れが届かなくなること。

それらは、山の中だけで完結している話ではない。

食べることを通して、その一部が暮らしの中に入ってくる。

西村さん自身も、猟師になるまでそのことを知らなかった。

同じ地域に住んでいても、山で何が起きているのかは見えていなかった。

でも、猟師になったことで、目が変わった。

「知識が増えたのもそうだし、そういう目になっていきよるんかなと思って」

山のことも、農家のことも、水のことも、食べもののことも。

それらは別々ではなく、つながっている。

ジビエは、そのつながりを見せてくれる入口でもある。


地域とつながる難しさ

Magokoroを始めてから、西村さんの周りには新しいつながりが増えてきた。

地域で活動する人。

キッチンカーをしている人。

農業や観光に関わる人。

WLPのようなプロジェクト。

「なんか、頑張っとる人によく会うご縁ができてきて。いろんな人たちと関われるようになりましたね。それは楽しいです」

新しいことは好きだし、広がっていくことも楽しい。

一方で、何でも観光や体験にすればいいわけではないとも感じている。

たとえば、狩猟や解体を体験ツアーのように見せること。

それが主になってしまうと、自分たちが大切にしていることとは少し違う気がする。

西村さんがつくりたいのは、猟師が怖い存在ではなく、農家や地域の人たちと自然に付き合っていける関係だ。

農家を守り、山際の風景を守り、獲った命をできるだけおいしく届ける。

その軸を変えないまま、どう外の人とつながるか。

「自分たちは何屋かって。何がしたくて始めたんやろって、原点に戻らないかんかなって思うぐらいの時があります」

広がることと、ぶれないこと。

その間で考え続けている。


いつかジビエを食べられる場所を

今後やってみたいことを聞くと、西村さんは「飲食店をつくりたい」と話した。

Magokoroに来る人から、「今、何が食べられるんですか」と聞かれることがある。

けれど、今はその場で食事を提供する場所ではない。

食べられるとしたら、試食くらいだ。

だからいつか、ジビエを食べられる場所をつくりたい。

ただし、いわゆるレストランとも少し違う。

外でバーベキューができてもいい。

焼くだけではなく、いろんな食べ方ができてもいい。

フレンチでも、イタリアンでも、和食でもいい。

ジビエにはこんな可能性があるのだと見せられる場所。

「食堂とか居酒屋になるんかな?」

そう言いながら笑う。

きっと、酒にも合う。

焼くだけでもおいしい。

少し手をかけてもおいしい。

ジビエを知らない人が、まず食べてみる場所。

おいしいと思って、次に買って帰る場所。

山の命が、もっと自然に食卓へ近づく場所。

それはまだ先の話かもしれない。

けれど、西村さんは口に出す。

「言ったら、そのうち叶うかなと思って」



ジビエは、生き方になった

最後に、西村さんにとってジビエとは何かを聞いた。

答えは、迷いがなかった。

「今はもう、人生ですよね。生き方。全部です」

毎日、罠を見に行く。

毎日、山を見る。

毎日、肉を切る。

それは仕事であり、暮らしであり、日々のリズムそのものになっている。

娘さんの結婚式で数日動けないため、罠にふたをした日があった。

たった数日、見回りに行かなくていいだけなのに、切なくなった。

朝、山に行かなくていいことが、面白くなかった。

日々のルーティーンをもがれたような感覚があった。

「狩猟がなくなったら、死んじゃうね」

そう冗談めかして言うけれど、その言葉には実感がある。

もし日本で狩猟ができなくなったら、狩猟できる世界に行くかもしれない。

山のない場所には、もう暮らせない。

かつては不便だと思っていた山際の暮らしを、今は心から好きだと思っている。

「今ここが好きなんで、ここから離れたくない」

食べたい。

おいしいと言ってもらいたい。

農家の力になりたい。

山の変化を見たい。

命を無駄にしたくない。

そのひとつひとつが重なって、西村さんの暮らしになっている。

ジビエは、特別な料理ではない。

山で生まれた命を、食べられるものとして受け取り、次の誰かへ渡していく営みだ。

おいしいと思うことから始まっていい。

食べたいという気持ちから、山に入ってもいい。

その先で、山の傷みが見え、農家の声が聞こえ、水や風景とのつながりが見えてくる。

西村さんの仕事は、命を重く語るだけではなく、まずおいしく、きれいに、安心して届けること。

そのおいしさの先に、山が見える。

食べることを通して、地域との関係が少しずつ見えてくる。

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